tombouze2006-12-18

左指を動かさずに左指でキーを叩く術を会得しました(笑)。
キーの上に指を下ろすくらいならできますが、やはり鍵盤を叩くのは難しそうです。
でもせっかくピアノを練習してきた、その自分の行為は、
自分が一番大好きになってあげたい。
だから「ピアノ・レッスン」の更新をします。
□  □  □
ハロプロアワーで愛ちゃんが『ふるさと』を歌っているのを見たのが3月。
その月には「ふるさとでふるさとが弾きたいな」と思っていた、と記憶しています。
実際にピアノ教室に通い出したのは5月から。
でも『ふるさと』の楽譜にキチンと向かい合うようになったのは更に後で、9月とか、10月からの話でした。
僕が使っている楽譜は、
ピアノソロ ベストアーティスト 1 [モーニング娘。/松浦亜弥]

ピアノソロ ベストアーティスト 1 [モーニング娘。/松浦亜弥]


このピアノスコアに載っているものです。『ピアノソロ』ですから、ハロプロアワーのように「伴奏」だけではなく、右手で「メロディ」、左手で「伴奏」を弾く形になっています。それに、ハロプロアワーよりアレンジがかなり簡易になっています。間奏やエンディングは、短く、オリジナルのイメージが相当に無くなっています。初心者にも弾けるように考えられているんだと思います。
ただ、初心者とは言ってもピンからキリまでありまして、僕の場合は全くと言っていいほど楽譜が読めない、どこがドでどこがレなのかもいちいちあやしい、ドの鍵盤を叩いている自分がはなっから信用ならない、というレベルからスタートしています。
ピアノ教室に通い始めたかなり初期に、『ふるさと』の楽譜は先生に渡していました。でも「あなたのレベルでは難しいかも」と言われて、それは自分でもわかっていたので、最初の数ヶ月はヤマハの教本等で(通っているのがヤマハ音楽教室読譜と運指の練習をしていました。実際問題、『ふるさと』の楽譜を見てもなにがなんだかわからない。なにがわからないのかもわからない。といった状態だったので、これは必要な時期でした。
4,5ヶ月、そういう練習を繰り返すと、『ふるさと』の楽譜を見ても思わず顔を背けたくなるような拒否反応はかなり薄れてきて、そこから先生と運指を考え始めました。教本には「親指は1、人差し指は2」などの指番号が楽譜にくっついていますが、普通のピアノスコアには付いていません。ですから、どの音符をどの指で弾くのかを決めていく作業が必要になってきます。

楽譜に書き込まれている数字が、先生が考えてくれた運指の指番号です。
ト音記号の部分、右手で弾くメロディラインの運指はかなりの部分を先生に教えて頂きました。
ヘ音記号の部分、左手で弾くコード等の運指は基本的に自分で考えました。
譜読みが終わったのは今月に入ってから。『ふるさと』の楽譜と向かい合うようになってから2,3ヶ月経っています。
ヘ音記号の運指を考えるのにものすごく時間がかかってしまったのがその理由です。
それでも、この楽譜は僕のピアノのレベルではなかなか弾くのが難しいんです。それは譜読みを始めてからも先生に言われました。
先生は「なにがなんでもこのまま弾く必要はないんだから、簡単に弾けるようアレンジすれば?」とアドバイスしてくれました。
具体的には2つあって、まず1つは、「キーを変更する」。
ト音記号ヘ音記号の横に「♯」が2つ付いています。これを付かない楽譜にする。つまり、キーをDからCに変えてしまえば、それだけ半音上げる必要がなくなります。これは「黒鍵」を弾く必要がなくなる、という事で、この黒鍵が出てくるとどうしても僕のレベルでは指がダンゴ結びやらチョウチョ結びになってしまいます。ですから「キーをCに変えた楽譜を書きましょうか?」と言って頂きました。
もう1つは、「音符を省く」。
ト音記号の方にオタマジャクシが2つくっついてるのがありますよね。1つはメロディラインでもう1つは言ってみれば装飾ですから、メロディのほう1つだけ弾けばそれで一応、事は足ります。それにヘ音記号の方にしても、いろいろ音符が並んでますが、大雑把にコードが分かれば、それもやはり事は足りるので、例えば「G」のコードの時はソの音をボ〜ンと叩いておけば、いいと言えばいいんです。
クラッシックの楽譜じゃありませんし、著作権の許諾を得てアレンジャーさんが考えたスコアですから、絶対こう弾かねばならない、という類のものでもないんです。だから先生は「変えちゃえば?」と言って下さいました。でも僕は、なるべくならこの楽譜のままでやり通したいと思っていて、沸騰した頭と手首に冷えピタシートと湿布薬貼りながら譜読みと練習を続けていました。
「キーを変更する」というのは、実際自分で冒頭部分をCのコードに移調して弾いてみたんです。確かにかなり弾きやすくなりました。でも、曲の雰囲気が結構変わってしまうんです。なんというか、平板な印象になってしまうというか。先生には「♯の数が増えると“寂しげな”印象に、♭の数が増えると“明るい”印象になる」と教えて頂きました。これがカラオケボックスで調子っぱずれに唄ってるなら「そんなキー、声出ねえ〜」とか言って♯やら♭やらのボタンを押しまくりますが、『ふるさと』はDのコードで弾きたかったんです。
□  □  □
そして「音符を省く」というのは、しても良かったんですけど、なんとなく嫌でした。
それはものすごく誤解した、間違った、妄想が生み出した嫌悪感。
「音符を省く」という行為が、「高橋愛への想いを省く」行為に思えてならなかったんです。
□  □  □
先生の「簡単にすれば?」というアドバイスは「あなたにはまだ弾くのは難しい」という意味と同時に「無茶すると手首や指を痛めるから」という意味も含まれています。ピアノを弾いている方ならわかると思いますが、指の脱力もわからないまま闇雲に弾いていたら、腱鞘炎なんて簡単になってしまいます。
自分でそれは知りつつも、なんとかこの曲だけは、と思って、湿布薬片手に練習、くらいの勢いで練習していました。
来年からは無理のないレベルの曲を選んでマイペースに続けていく、でもとにかく、今年だけ、この曲だけ、と言い聞かせて毎日ピアノに向かっていました。
譜読みが終わったのが今月の上旬。この時はすごく嬉しかったですね。ピアノを弾き始めて一番嬉しかったかもしれません。
『ふるさと』の楽譜は3ページあります。「3ページの楽譜を読み通せる」、という事を自分ができるかどうか、正直自信がなかったので、最後の1音が弾けたときは本当に嬉しかったです。
譜面を読む、というのは、愛ちゃんのファンになってから「読めたらいいなあ」とは漠然と思うようになっていました。理由は単純。愛ちゃんは譜面が読めるからです。
愛ちゃんは「初見ができる」というレベルでしょうから、もちろん僕の「譜面が読める」というのは、とっかかかりの、「と」の、最初のひとふでを、書くために筆を墨に付ける、ための墨を硯ですってるくらいの初歩の話です。
でも、それでも、同じ『五線譜』をこれから見続けていく事が出来るかもしれない。
それが物凄く嬉しかったです。
□  □  □
あとは昨日書いたとおりです。間違いながらもなんとか全曲弾き通せるようになったと思ったら左手を怪我してしまい、明日は仕事を休んで病院に行くのでこんな夜更けに文章書いててもなんら問題がない、という体たらくになってしまいました(笑)。
手の平の麻酔が切れてから左手で弾いてみたんですが、やはり難しいみたいです。普通に痛いですね。叩くと傷に響いてきます。
とにかく福井には行くので、右手だけでメロディを練習しています。すると、メロディを弾いているつもりが「これメロディじゃないだろ」と思ってしまうほどに運指が稚拙に過ぎるのが、左手を使わない分如実に感じられてしまいました。止まる所で止まってないし、滑らかに続かないとダメな所で止まってしまっている。
これではとても「弾いている」とは言えない。
だから今回の左手の怪我は、自分のピアノをしっかりと見つめるいい機会だったのかもな、と考えるようになりつつあります。譜読みを終えた事は間違いないんだから、それは必ずこれからに繋がってくるだろうし。
来週の日曜日、福井に行くまでは、右手のメロディを見つめる作業を続けて行きます。そして、
「自分にとって『ふるさと』ってなんだろう」
「自分にとって『高橋愛』って、なんだろう」
そんな、答えが出るともない想いをピアノに重ね合わせられるように、なれたらいいなと思っています。