紀行文の2日目。
はてなダイアリー」で書く『高橋愛の瞳』の更新は、今日で実質お終いです。
次の更新では移転先のリンクを貼ります。
テーマが3つ。
これが、ラストの紀行文。
□  ピアノ
お昼に宿泊していたホテルをチェックアウトして、徒歩で『ふるさと』を弾く場所へと向かいました。
福井で『ふるさと』を弾こうと決めて、早い段階から弾く場所も決まっていました。どこでもいいという訳ではありませんでした。どこでもいいなら、前日に福井市内の別の場所で練習しています。実質、それが最初に弾いた『ふるさと』です。
そうではなく、高橋愛に対する想いへと繋がる場所で弾きたかった。その場所と、そこで弾く『ふるさと』を、これからずっと続いていく、彼女に対する「気持ち」という名のラインに穿つ「ポイント」にしたいと考えていました。
弾いた場所は、

フェニックスプラザhttp://www2.fctv.ne.jp/~phoenix/)のリハーサルルームです。
□  □  □
2005年3月12日。この会場でモーニング娘。のコンサートが行われました。
夜公演で、愛ちゃんが『ふるさと』を歌った場所。
『ふるさと』を聞き終えて外に出ると、空からは会場の光に照らされた雪。
彼女のファンが、奇跡、のようなものを見た場所です。
ピアノを弾く場所を選定する時、最初からここを想定していた訳ではありません。でもネットで検索しながらあちらこちら考えているうちにこの会場の事がふと浮かんで、それからは「もうここしかない」と決めていました。
実際に弾いた所は、当たり前ですがコンサートホールではありません。フェニックスプラザには他にも会議室やギャラリー等の部屋が数多くあります。僕はその中で、グランドピアノが置いてあるリハーサルルームを選びました。
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正面玄関から入り、エントランスを突き抜けて、裏手にある管理事務所へ。そこで手続きを済ませ、事務所の方と共にエレベーターでリハーサルルームのある2階へと。エレベーターを降りてすぐ右手にその部屋はありました。
鍵が開き、後から付いていく形で部屋の中へ。事務所の方が電気のスイッチを入れました。明るくなる室内。その瞬間、僕は完全に固まっていました。
(広い・・・・・。)
 
事務所の方がいろいろと説明をした後に部屋を出て行ってから、あらためて見渡しました。フェニックスプラザのサイトによると広さは75㎡、23坪。
白い吸音壁、ライトブラウンのフロア、入り口から見て右の壁は3分の2程度の高さまで鏡張りになっていて、高低2列にレッスンバーが渡っています。左奥にはヤマハのグランドピアノ、G3。
まずその広さに尻込みしてしまいました。僕が住んでいる部屋は小さなワンルームヤマハのピアノ教室で使っている防音室は4畳半くらいじゃないかと思います。リハーサルルームは、それらとは比較にならない広さでした。というか、その「広さ」が欲しかった、というのもあったんです。『ふるさと』を「故郷」で弾いている、『ふるさと』の音が「故郷」で広がっている、と実感できるくらいの空間が欲しかった、というのも、この場所を選んだ理由のひとつでした。
でも実際その場に立ってみると、自分が普段練習している環境とのギャップに相当ビビッてしまって、「ここで弾いてもいいのかなあ・・・。」と自分で自分に疑問を持ちながら、とにかく荷物とコートを下ろして、靴を脱いでフロアに上がりました。
空間を確認するように全体を眺めながら、奥に置いてあるグランドピアノへと。全体を覆っている布製のカバーを取り去ると、黒く艶を帯びた、滑らかなピアノの形が露わになりました。おそらく義務教育時代にグランドピアノに触れたことはある筈ですが、自分が弾く、と意識してからここまで近づくのは始めてでした。
取り扱いがイマイチ分からない。確か上蓋を開けるはず。まず上蓋の少し前の部分だけパタンと折りたたむと、その下からは譜面台が出てきました。そこからおもむろに上蓋全体を上方に。思いの外、重い。僕はこのとき仕事で怪我をしていて、左手は包帯でグルグル巻きになっています。右手にもう少し力を込めて上蓋を上げてから、左手で支えの棒を入れました。
□  □  □
ひととおりセッティングをし終えてから、鍵盤の前に座りました。
そっと、右手の人差し指で音を鳴らしてみる。
・・・あれ?音が鳴らない。どうもあまりにおそるおそる弾いたのがダメだったみたい。もう少し力を入れて弾いてみる。
(・・・うわあ〜・・・・・。すごい・・・・・。怖い・・・・・。)

グランドピアノは電子ピアノやアップライトピアノとはかなり違う、という話は聞いていて、自分で弾いてみてもそれはなんとなく感じられました。音の厚みと、その厚みが広がっていく様がそれまで弾いていたピアノと比べて重量感があるような気がして、思わず「怖い・・・」という感想が出てきました。
指を温めるためにスケール練習を開始。この時もおっかなびっくりで指を動かしていました。左手は怪我で使えないので右手だけのスケール練習です。怪我はまだ抜糸が済んでいない状態で、時々痛んでいました。左膝の上に乗せています。
20分ほど指を慣らしてから、右手の指を『ふるさと』を弾く位置に付けました。持っている楽譜のイントロ。親指でB。人差し指でE。
ゆっくりと弾き始めました。
( ・ ・ ・ ・ ・ 。 )

□  □  □
この時、感慨めいたものが浮かぶだろうな、と予想していました。ここで弾きたいと思って9ヶ月ほど、譜読みを始めて3ヶ月くらい、日にちを決めてから1ヶ月強。「夢」だった、という程のものでもないかもしれませんが、ピアノを始めて最初に作った「目標」の地点になんとか辿り着く事が出来た。
その嬉しさでいっぱいになるだろうな、そしていつも福井へ来ている時と同じように、自分の過去の悲しみや苦しみが、嬉しさへと、音と共に昇華されていくんだろうな、ってそう思っていたんです。ここへ来るまでは。
でも実際は違ってました。だんだん腹が立ってきたんです。
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「なんでこんなに弾けないんだ? あんなに練習したのに」って自分にだんだんむかっ腹が立ってきました。なんというか、グランドピアノってごまかしがきかないというか、明確に意志を込めて音を出さないと鳴ってくれないんです。家で使っている電子ピアノと同じように弾いていると、これは比喩でもなんでもなく音が出ない、「スカッ」とかなっちゃう時があって、だん〜だんイライラしてきて。
そのあたりから、膝に置いていた包帯グルグル巻きの左手もムズムズし出していました。そしてついには、その左手、思いっ切り鍵盤の上に広げてしまいました。抜糸もしていない状態なので、正直痛かったんですが、激痛、という程でもなかったのでそのまま弾く事にしました。多少の痛みより、弾けてない自分に対するいらだちのほうが強かったんです。
そこからはもう、家での練習と変わりません。本番のつもりで行ったのに練習になっているという訳のわからない結果になってしまいましたが、「あ〜もう動けよこのバカ指! ちょっと待てお前は動くな!」とかいつもの調子でブツブツ言いながら、舌打ちしたり、溜息ついたりして、結局その調子で時間イッパイまでいってしまいました。
弾いている時に「故郷」で『ふるさと』を弾いているという感慨が、自分の予想に反して湧かなかったんです。湧いてきたのは、リハーサルルームを後にして、事務所に戻ってお金を払って、フェニックスプラザを出て、振り返った時でした。
なんか、楽だな、って思いました。
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僕は福井へ来ると、必ずと言っていいほど自分のネガティブな面が出てしまって、紀行文もそういう書き方がどうしても多くなります。そのネガティブな気持ちが高橋愛によって、後ろ向きのベクトルから前向きのベクトルに変わっていく。そんな心境を書いてきたつもりです。ネガティブがポジティブに変わる気持ちではありません。ネガティブな心を持つ人間が、その心を抱えながらでも前に進む事ができる、という気持ちです。
僕は一生、基本的にはネガティブな人間として生きていくんだと思います。別にそれが悪い事だとも、損な事だとも思っていません。ただ、そういう僕が常日頃する「舌打ち」や「溜息」は、たいていいつも息苦しいものでした。
でも、ピアノを弾いている時にする「舌打ち」や「溜息」は、なんか、楽なんです。こういう感覚って今まで感じた事、なかったんじゃないかなと思います。多分ピアノを弾いている時だけポジティブになれているんだと思うんです。あらためて言っておきます。僕は今、ピアノについて話してるんじゃありません。高橋愛への想いについて話してます。彼女がいなければ、こうしてピアノを弾いてなどいないんですから。
彼女のファンになって、その想いを自分の日常のいろんな場面に接着させようとしてきた、この数年間。
その結果得たものは、遮られることも塞がれることもなく吐き出す事が出来る呼吸、だったのだと思います。
□  「あの町」
駅に降り立った時には辺りはもう薄暗くなっていて、中心部まで歩いていくと夜の明かりが灯っていました。
もう何回来たかも分からない。確実に分かっているのは、この先数年間はここへ来ることが出来ない、という事。
でも、その数年後には必ず行くつもりです。今回「あの町」に行ったのは、その証し、みたいなものを立てる意味も含まれていました。前日に福井駅前のロフトで買った物が、その『証し』です。
最初は、タイムカプセルみたいなのものを考えていました。
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カンカンでもプラスチック容器でもいいから手紙か何かを入れて、それを「あの町」に埋めよう、みたいな事を考えていました。でも、どこの馬の骨ともわからないうだつの上がらないオッサンが泣きながらスコップで土掘り返してたら普通に怪しいので却下。
コーラの瓶とかに手紙を詰めて九頭竜川から流そうかとも考えました。でもこりゃ思いっ切り流れて行ってしまうので、また却下。
なにか他に、一瞬にして作業を終えて、目立たず、かつ気持ちを残しやすい何かがないかな、といろいろ考えているうちに、去年の確か春あたりの紀行文で触れた一冊の書物を思い出しました。天童荒太さんの書いた『包帯クラブ』です。
包帯クラブ The Bandage Club (ちくまプリマー新書)

包帯クラブ The Bandage Club (ちくまプリマー新書)


心に傷を受けた若者達が、その傷を受けた場所に包帯を巻いていく、というお話です。包帯を巻くことで、傷を治す事は出来ないにしても、何かを巻いてもらっているというその感覚が、多少なりとも気持ちを和らげる事に繋がるのではないか。僕は左手を怪我してそこに包帯を巻きましたが、心に包帯は巻けません。その擬似的な形として、『場所』に包帯を巻いていく、というお話だったと記憶しています。この小説の事が頭に浮かびました。
小説の中では、あまりに多くの場所に、しかもグルグル巻きにしてしまうので、次第に風雨によって薄汚れていく街中の包帯が問題になってしまう、という流れが出てきます。でも、目立たない形なら、どうだろう?と考えました。
包帯のように真っ白な、幅広いものではなく、ちょっとだけ、自分だけが「絆」みたいなものを確認できるくらいか細い何かを『結ぶ』ことが出来ないだろうか。それなら目立たないし、「あの町」に迷惑をかけることもないんじゃないかな、って。
それが、ロフトで買ったものです。今年結ぶものとして僕にはこれ以外考えられませんでした。
買ったのは、『リボン』です。
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本当なら『リボンの騎士』にちなんだ色を使いたい所でしたが、とにもかくにも「目立たない」という事を最優先させました。自分のしようとしている事がド級に気持ち悪いのは重々承知していたので、「気づかれない」という気持ちではなく「あの町のお邪魔にならない」という気持ちから、とにかく年月を経ても全くわからなくらいの色あいやサイズを選択しました。
そして、そのリボンをある所に巻きました。まずわからないと思います。というか、自分でも細かい位置は書き留めておかないと忘れてしまうくらいの場所です。ただ、それなりに「意味」のある場所には巻きました。
これから何年あの町に行けないのかわからないけど、次に訪れたときは『リボン』を確認しに行こうと思います。あるかもしれないし、ないかもしれない。それはどちらでもいいんです。あれば嬉しいと思うし、なければ残念だなと思う。どちらでも構わない。
僕が欲しいのは、「あの町」に行ったときに得る、新しい『感情』ですから。
□  「愛してる」

「愛してる」
最後にそう書くとは言ってみたものの、こりゃやっぱ恥ずかしいなあ、とか考えながら、大阪に戻る電車を待つ少しの間、福井駅前を歩いていました。
僕はこの日記で何故かもっさいオッサンキャラを作ろうと腐心してるので(笑)その手の話は全くと言っていいくらいしませんが、はてなも最後ですし言ってしまうと、年齢も年齢ですからそれなりに恋愛経験はあります。なんか、いろいろ、ありますよね、うん。「愛してる」という言葉も使ったことがあると思います。ある時は真剣に、ある時は適当に。
この「愛してる」という言葉だけは、こうやって文字にするより面と向かった方が言いやすいです個人的には。書いてしまうと、恥ずかしい。逆に言うと、愛ちゃんと普通に知り合う機会なんて一生来ないとわかっているから、「愛してる」以外の想いの部分をいろいろと書けてしまっているのかな、とも思います。今まで付き合った女性に対してここで書き綴って来たような事は、まず言ったことありませんから。
そういう意味では、自分が高橋愛という「アイドル」のファンでいる、その見方の中にある『恋愛対象』というのも、ガチンコでそう見ている、という訳ではないのかもしれません。ガチンコで見られても恐ろしく困るでしょうけど。ただこの点を突き詰めて考えても大して楽しくないし、例えば福井西武の玄関前に飾られた、青い光に彩られた大きなクリスマスツリーを見ていると、この光を愛ちゃんと一緒に見たいな、って素直に思いました。
それでいいのかな、とも思います。そうやって、恋愛対象も含めたいろいろな想いの間を交錯して揺らめいて、『高橋愛』という存在を長く、これからもずっと応援していければいいのかな、って。
・・・・・よし! 書こう! ただちょっと元気に書かせて! 死ぬほど恥ずかしい(笑)!
愛ちゃん!これからも、ずっと、ずっと!
愛してる!!