はてなダイアリーでの、最後の更新です。
あさっての31日にプライベートモードに移行します。
□  □  □
最初はアカウントを削除しようと思ってたんですけど、よく考えたらこのIDでアンテナも使ってるので(笑)、アンテナ専用にIDは残しておく事にしました。
はてなで書き始めたのが2004年の7月。それから2006年の12月まで、2年5ヶ月にわたってこの「はてなダイアリー」で日記を書き続けて来ました。その前に数日間だけ「JUGEM」でブログを書き始めてたんですけど、あの、もう誰も思い出したくない(笑)、サーバー超重データー吹っ飛び事件のために(笑)、この「はてな」に移ってきたんです。
それから2年と5ヶ月。振り返ってみて、いろいろと思い出はありますよね、やっぱり。
例え弱小だろうとなんだろうと(笑)、『テキスト』という形で高橋愛への想いを表現してきた、という自負は、あってもいいですよねこんだけ長い間やってるんだから(笑)。
特に2004年10月あたりからの1年間は「高橋愛」以外の名前は娘。のメンバーであろうが一切出さない、という極端な方向性で書いてました。正直、シンドかったですね(笑)。今もう1回それをやれと言われて、やれない、とは言いたくないけど、相当キツいとは思います。想いがどうのこうの以前に、そないに毎日ネタはないですから(笑)。情報を丁寧に取り上げるタイプでもないですし。でも当時毎日「高橋愛」って書いていて、精神的にも時間的にもずっと張り詰めた状態でした。
今、独自でドメインを取って書いてる『高橋愛の瞳』では、なるべく生活の負担にならない書き方をするようにしています。明確にカテゴリ分けをして、愛ちゃんや娘。以外の事も多く取り上げるようにしています。そして、長文を意識しない書き方を心がけています。この「はてな」では、長文を意識して書いてました。今は短文でポンッと言葉を載せるようにして、その代わりに週一くらいになっていた更新頻度を上げるようにしてます。
ただ、「はてな」にしても、今にしても、『高橋愛の瞳』という名の下でしか表に表れない、僕の中の言葉というのが確かにあって、それをサイト上に載せている、というスタンスは変わらないです。それは、これからもずっと変わんないです。
□  □  □
と、言うわけで、今までありがとうございました。カウンターを見たら18万ヒットになってるんですね。最初の1万ヒット、すごい嬉しかったのを思い出しました。
ありがとうございました。お手数ですが、アンテナ、ブックマークからの削除をお願いします。

サイト移転の準備が整いました。
http://www.takahashiainohitomi.com/
こちらです。『高橋愛の瞳ドットコム』。
弱小サイトにも関わらずドメインだけ妙に偉そうになっています(笑)。これからはそちらで書いていく事にします。
向こうでは間髪入れずに説明無しで書いていくので、こちらでコンセプトや、どう変わるのかとか、説明しておきたいと思います。
まず、移転先では著作権にきっちり配慮したいと思います。メディアから届くモーニング娘。ハロー!プロジェクトの画像は一切使用しません。ここでさんざっぱら使っといて今更感満載ですが(笑)。
ですから、ヘッダの画像にも愛ちゃんは使ってません。でも何にも関係がないか、というと自分的にはそれなりに凝って作成した画像です。愛ちゃんの写真集「19」の世界にあるピアノ、みたいなイメージ。あ、ちなみにこういうアマゾンの画像は向こうでも貼ります(アマゾンアソシエイトの登録しました)。
高橋愛写真集(DVD付)「19」

高橋愛写真集(DVD付)「19」


この写真集が大好きなんです。愛ちゃんの写真集の中で一番好き。特に“ 洋館でのシーン。古いストーブのようなものに腰掛けて窓からの光を背に受けている愛ちゃん ” という1ページがとにかく好きで、以前行われた「19」のベストショットでもその写真を一番に選びましたし、今でもパソコンのディスプレイや携帯の待ち受け画面はそれです。
「その写真の中に、ピアノがあったら、どうかな?」みたいなイメージです。ネットで拝借した著作権フリーのピアノ画像を使って、そこに青色を重ねてブルーのモノトーンっぽく。シャドウやコントラストを使ってラグな雰囲気を出して、そこに光を当てたようなレイヤーを重ねました。それっぽくなってるかな?って個人的には結構好きになってる画像ですね。
サイトのレイアウトに付いては、お礼も兼ねて最後に書きたいと思います。ただ今までのココとは違って2カラムにしてカテゴリ分けをするので、そのカテゴリについて。こんな感じで考えてます。ちなみに、頭に数字が付いてるのは、そうしないとアルファベット順に並んでしまうのがデフォルトだからです。ただアルファベット順でも愛ちゃんが一番上にくるというのはさすがと言えばさすがかも(笑)。
・01 Ai
愛ちゃんです。愛ちゃん自体に関する事や愛ちゃんへの想いについてはここで書きます。
・02 MUSUME。
モーニング娘。の愛ちゃん以外のメンバーについてはここで。
・03 Hello!
モーニング娘。以外のHello! Projectの付いての言及はこちらで。
・04 music
音楽についてはここで一括して書きます。娘。も、娘。以外の自分が興味のあるジャンルの音楽も並列に書いていきます。
はてなではハロー!プロジェクト以外の音楽には極力触れないようにしてきましたが、移転先ではそのあたりの記述がかなり多くなると思います。使用頻度の高いカテゴリになるかもしれません。
・05 piano
ピアノの練習についてとか、ピアノに関する情報なんかを書いていきます。こちらで時々書いていた、愛ちゃんへの想いへと繋ぐ『ピアノ・レッスン』は「Ai」のカテゴリにしようと思ってます。
・06 others
本当は「Fukui」も入れたかったんですが(笑)、あまりカテゴリ数を増やしたくなかったので福井ネタも含めて様々な雑感をここで書きます。福井ネタ、というのは、いろいろありますが今回取り入れるのは福井新聞社のHPです。
http://www.fukuishimbun.co.jp/
ここに福井のニュースが掲載されているので、それについて言及するという、今から考えても面白すぎてお腹がよじれそうになる(お前だけだ)ネタを考えてます(号泣)。
こんな感じで、娘。以外のネタを増やすつもりなのでかなり一般的なブログっぽくなるんじゃないかなと思います。福井新聞社のニュースに言及するのが一般的かどうかは別として。ただ、ここのコンセプトである「批判、批評、議論をしない」「求めない、望まない」「やさしい言葉を選ぶ」はそのままです。これを変えてしまっては『高橋愛の瞳』として書く意味がないと思っていますから。
次に、ここ、はてなの『高橋愛の瞳』について。いろいろ考えてる最中なんですが、最終的にはアカウントを削除しようと思います。ここのレイアウトが本っ当に好きで、名残り惜しいし、考えて頂いた方に対して「申し訳ないなあ、」っていう気持ちがかなりあるんですが、レイアウトのスタイルシート等は大切に保存させて頂いて、このアカウントは、1ヶ月くらいかな?それくらいをメドに白紙に戻そうかと考えています。
最後に。サイト構築にあたっていろいろな方のお世話になりました。特に、あれくさんには並々ならないご助力を頂きました。
Raspberry Wind (http://park2.wakwak.com/~al246c/t01.htm) 
晴れた日のマリーンhttp://blog.so-net.ne.jp/goodfeelingallright/)←トラックバック
今回はネット上で配布されているMovable Typeのテンプレートを改造する、という形を取りました。でもスタイルシートのスの字も知らない自分がそうそう簡単に改造などできるわけもなく、一応その手の本を2,3冊買って挑戦してはみたものの、思い切りイジりつぶしてしまいました。
裏サイトで、あれくさんが記述の見直しをして「あそこにこの表記を入れて」とアドバイスをして下さらなければ、サイトを作るのに一体どれくらいかかったか検討もつきません。あるいは、今のテンプレートをあきらめて他のを探さなければならなかったかもしれません。
自分ひとりでは、全くどうにもできませんでした。あれくさん、本当にありがとうございました。僕に出来る唯一のお礼は「書くこと」だと思うので、これからも心を込めて、キレイに作って頂いたサイトで書いて行きたいと思います。
また、あれくさんの他にも裏サイトではいろいろな方にアドバイスを頂きました。心からお礼申し上げます。ありがとうございました。
では、これからは新しい場所で書いていきます。
ブックマークの変更等、ご迷惑をおかけしますがどうぞ宜しくお願い致します。

紀行文の2日目。
はてなダイアリー」で書く『高橋愛の瞳』の更新は、今日で実質お終いです。
次の更新では移転先のリンクを貼ります。
テーマが3つ。
これが、ラストの紀行文。
□  ピアノ
お昼に宿泊していたホテルをチェックアウトして、徒歩で『ふるさと』を弾く場所へと向かいました。
福井で『ふるさと』を弾こうと決めて、早い段階から弾く場所も決まっていました。どこでもいいという訳ではありませんでした。どこでもいいなら、前日に福井市内の別の場所で練習しています。実質、それが最初に弾いた『ふるさと』です。
そうではなく、高橋愛に対する想いへと繋がる場所で弾きたかった。その場所と、そこで弾く『ふるさと』を、これからずっと続いていく、彼女に対する「気持ち」という名のラインに穿つ「ポイント」にしたいと考えていました。
弾いた場所は、

フェニックスプラザhttp://www2.fctv.ne.jp/~phoenix/)のリハーサルルームです。
□  □  □
2005年3月12日。この会場でモーニング娘。のコンサートが行われました。
夜公演で、愛ちゃんが『ふるさと』を歌った場所。
『ふるさと』を聞き終えて外に出ると、空からは会場の光に照らされた雪。
彼女のファンが、奇跡、のようなものを見た場所です。
ピアノを弾く場所を選定する時、最初からここを想定していた訳ではありません。でもネットで検索しながらあちらこちら考えているうちにこの会場の事がふと浮かんで、それからは「もうここしかない」と決めていました。
実際に弾いた所は、当たり前ですがコンサートホールではありません。フェニックスプラザには他にも会議室やギャラリー等の部屋が数多くあります。僕はその中で、グランドピアノが置いてあるリハーサルルームを選びました。
□  □  □
正面玄関から入り、エントランスを突き抜けて、裏手にある管理事務所へ。そこで手続きを済ませ、事務所の方と共にエレベーターでリハーサルルームのある2階へと。エレベーターを降りてすぐ右手にその部屋はありました。
鍵が開き、後から付いていく形で部屋の中へ。事務所の方が電気のスイッチを入れました。明るくなる室内。その瞬間、僕は完全に固まっていました。
(広い・・・・・。)
 
事務所の方がいろいろと説明をした後に部屋を出て行ってから、あらためて見渡しました。フェニックスプラザのサイトによると広さは75㎡、23坪。
白い吸音壁、ライトブラウンのフロア、入り口から見て右の壁は3分の2程度の高さまで鏡張りになっていて、高低2列にレッスンバーが渡っています。左奥にはヤマハのグランドピアノ、G3。
まずその広さに尻込みしてしまいました。僕が住んでいる部屋は小さなワンルームヤマハのピアノ教室で使っている防音室は4畳半くらいじゃないかと思います。リハーサルルームは、それらとは比較にならない広さでした。というか、その「広さ」が欲しかった、というのもあったんです。『ふるさと』を「故郷」で弾いている、『ふるさと』の音が「故郷」で広がっている、と実感できるくらいの空間が欲しかった、というのも、この場所を選んだ理由のひとつでした。
でも実際その場に立ってみると、自分が普段練習している環境とのギャップに相当ビビッてしまって、「ここで弾いてもいいのかなあ・・・。」と自分で自分に疑問を持ちながら、とにかく荷物とコートを下ろして、靴を脱いでフロアに上がりました。
空間を確認するように全体を眺めながら、奥に置いてあるグランドピアノへと。全体を覆っている布製のカバーを取り去ると、黒く艶を帯びた、滑らかなピアノの形が露わになりました。おそらく義務教育時代にグランドピアノに触れたことはある筈ですが、自分が弾く、と意識してからここまで近づくのは始めてでした。
取り扱いがイマイチ分からない。確か上蓋を開けるはず。まず上蓋の少し前の部分だけパタンと折りたたむと、その下からは譜面台が出てきました。そこからおもむろに上蓋全体を上方に。思いの外、重い。僕はこのとき仕事で怪我をしていて、左手は包帯でグルグル巻きになっています。右手にもう少し力を込めて上蓋を上げてから、左手で支えの棒を入れました。
□  □  □
ひととおりセッティングをし終えてから、鍵盤の前に座りました。
そっと、右手の人差し指で音を鳴らしてみる。
・・・あれ?音が鳴らない。どうもあまりにおそるおそる弾いたのがダメだったみたい。もう少し力を入れて弾いてみる。
(・・・うわあ〜・・・・・。すごい・・・・・。怖い・・・・・。)

グランドピアノは電子ピアノやアップライトピアノとはかなり違う、という話は聞いていて、自分で弾いてみてもそれはなんとなく感じられました。音の厚みと、その厚みが広がっていく様がそれまで弾いていたピアノと比べて重量感があるような気がして、思わず「怖い・・・」という感想が出てきました。
指を温めるためにスケール練習を開始。この時もおっかなびっくりで指を動かしていました。左手は怪我で使えないので右手だけのスケール練習です。怪我はまだ抜糸が済んでいない状態で、時々痛んでいました。左膝の上に乗せています。
20分ほど指を慣らしてから、右手の指を『ふるさと』を弾く位置に付けました。持っている楽譜のイントロ。親指でB。人差し指でE。
ゆっくりと弾き始めました。
( ・ ・ ・ ・ ・ 。 )

□  □  □
この時、感慨めいたものが浮かぶだろうな、と予想していました。ここで弾きたいと思って9ヶ月ほど、譜読みを始めて3ヶ月くらい、日にちを決めてから1ヶ月強。「夢」だった、という程のものでもないかもしれませんが、ピアノを始めて最初に作った「目標」の地点になんとか辿り着く事が出来た。
その嬉しさでいっぱいになるだろうな、そしていつも福井へ来ている時と同じように、自分の過去の悲しみや苦しみが、嬉しさへと、音と共に昇華されていくんだろうな、ってそう思っていたんです。ここへ来るまでは。
でも実際は違ってました。だんだん腹が立ってきたんです。
□  □  □
「なんでこんなに弾けないんだ? あんなに練習したのに」って自分にだんだんむかっ腹が立ってきました。なんというか、グランドピアノってごまかしがきかないというか、明確に意志を込めて音を出さないと鳴ってくれないんです。家で使っている電子ピアノと同じように弾いていると、これは比喩でもなんでもなく音が出ない、「スカッ」とかなっちゃう時があって、だん〜だんイライラしてきて。
そのあたりから、膝に置いていた包帯グルグル巻きの左手もムズムズし出していました。そしてついには、その左手、思いっ切り鍵盤の上に広げてしまいました。抜糸もしていない状態なので、正直痛かったんですが、激痛、という程でもなかったのでそのまま弾く事にしました。多少の痛みより、弾けてない自分に対するいらだちのほうが強かったんです。
そこからはもう、家での練習と変わりません。本番のつもりで行ったのに練習になっているという訳のわからない結果になってしまいましたが、「あ〜もう動けよこのバカ指! ちょっと待てお前は動くな!」とかいつもの調子でブツブツ言いながら、舌打ちしたり、溜息ついたりして、結局その調子で時間イッパイまでいってしまいました。
弾いている時に「故郷」で『ふるさと』を弾いているという感慨が、自分の予想に反して湧かなかったんです。湧いてきたのは、リハーサルルームを後にして、事務所に戻ってお金を払って、フェニックスプラザを出て、振り返った時でした。
なんか、楽だな、って思いました。
□  □  □
僕は福井へ来ると、必ずと言っていいほど自分のネガティブな面が出てしまって、紀行文もそういう書き方がどうしても多くなります。そのネガティブな気持ちが高橋愛によって、後ろ向きのベクトルから前向きのベクトルに変わっていく。そんな心境を書いてきたつもりです。ネガティブがポジティブに変わる気持ちではありません。ネガティブな心を持つ人間が、その心を抱えながらでも前に進む事ができる、という気持ちです。
僕は一生、基本的にはネガティブな人間として生きていくんだと思います。別にそれが悪い事だとも、損な事だとも思っていません。ただ、そういう僕が常日頃する「舌打ち」や「溜息」は、たいていいつも息苦しいものでした。
でも、ピアノを弾いている時にする「舌打ち」や「溜息」は、なんか、楽なんです。こういう感覚って今まで感じた事、なかったんじゃないかなと思います。多分ピアノを弾いている時だけポジティブになれているんだと思うんです。あらためて言っておきます。僕は今、ピアノについて話してるんじゃありません。高橋愛への想いについて話してます。彼女がいなければ、こうしてピアノを弾いてなどいないんですから。
彼女のファンになって、その想いを自分の日常のいろんな場面に接着させようとしてきた、この数年間。
その結果得たものは、遮られることも塞がれることもなく吐き出す事が出来る呼吸、だったのだと思います。
□  「あの町」
駅に降り立った時には辺りはもう薄暗くなっていて、中心部まで歩いていくと夜の明かりが灯っていました。
もう何回来たかも分からない。確実に分かっているのは、この先数年間はここへ来ることが出来ない、という事。
でも、その数年後には必ず行くつもりです。今回「あの町」に行ったのは、その証し、みたいなものを立てる意味も含まれていました。前日に福井駅前のロフトで買った物が、その『証し』です。
最初は、タイムカプセルみたいなのものを考えていました。
□  □  □
カンカンでもプラスチック容器でもいいから手紙か何かを入れて、それを「あの町」に埋めよう、みたいな事を考えていました。でも、どこの馬の骨ともわからないうだつの上がらないオッサンが泣きながらスコップで土掘り返してたら普通に怪しいので却下。
コーラの瓶とかに手紙を詰めて九頭竜川から流そうかとも考えました。でもこりゃ思いっ切り流れて行ってしまうので、また却下。
なにか他に、一瞬にして作業を終えて、目立たず、かつ気持ちを残しやすい何かがないかな、といろいろ考えているうちに、去年の確か春あたりの紀行文で触れた一冊の書物を思い出しました。天童荒太さんの書いた『包帯クラブ』です。
包帯クラブ The Bandage Club (ちくまプリマー新書)

包帯クラブ The Bandage Club (ちくまプリマー新書)


心に傷を受けた若者達が、その傷を受けた場所に包帯を巻いていく、というお話です。包帯を巻くことで、傷を治す事は出来ないにしても、何かを巻いてもらっているというその感覚が、多少なりとも気持ちを和らげる事に繋がるのではないか。僕は左手を怪我してそこに包帯を巻きましたが、心に包帯は巻けません。その擬似的な形として、『場所』に包帯を巻いていく、というお話だったと記憶しています。この小説の事が頭に浮かびました。
小説の中では、あまりに多くの場所に、しかもグルグル巻きにしてしまうので、次第に風雨によって薄汚れていく街中の包帯が問題になってしまう、という流れが出てきます。でも、目立たない形なら、どうだろう?と考えました。
包帯のように真っ白な、幅広いものではなく、ちょっとだけ、自分だけが「絆」みたいなものを確認できるくらいか細い何かを『結ぶ』ことが出来ないだろうか。それなら目立たないし、「あの町」に迷惑をかけることもないんじゃないかな、って。
それが、ロフトで買ったものです。今年結ぶものとして僕にはこれ以外考えられませんでした。
買ったのは、『リボン』です。
□  □  □
本当なら『リボンの騎士』にちなんだ色を使いたい所でしたが、とにもかくにも「目立たない」という事を最優先させました。自分のしようとしている事がド級に気持ち悪いのは重々承知していたので、「気づかれない」という気持ちではなく「あの町のお邪魔にならない」という気持ちから、とにかく年月を経ても全くわからなくらいの色あいやサイズを選択しました。
そして、そのリボンをある所に巻きました。まずわからないと思います。というか、自分でも細かい位置は書き留めておかないと忘れてしまうくらいの場所です。ただ、それなりに「意味」のある場所には巻きました。
これから何年あの町に行けないのかわからないけど、次に訪れたときは『リボン』を確認しに行こうと思います。あるかもしれないし、ないかもしれない。それはどちらでもいいんです。あれば嬉しいと思うし、なければ残念だなと思う。どちらでも構わない。
僕が欲しいのは、「あの町」に行ったときに得る、新しい『感情』ですから。
□  「愛してる」

「愛してる」
最後にそう書くとは言ってみたものの、こりゃやっぱ恥ずかしいなあ、とか考えながら、大阪に戻る電車を待つ少しの間、福井駅前を歩いていました。
僕はこの日記で何故かもっさいオッサンキャラを作ろうと腐心してるので(笑)その手の話は全くと言っていいくらいしませんが、はてなも最後ですし言ってしまうと、年齢も年齢ですからそれなりに恋愛経験はあります。なんか、いろいろ、ありますよね、うん。「愛してる」という言葉も使ったことがあると思います。ある時は真剣に、ある時は適当に。
この「愛してる」という言葉だけは、こうやって文字にするより面と向かった方が言いやすいです個人的には。書いてしまうと、恥ずかしい。逆に言うと、愛ちゃんと普通に知り合う機会なんて一生来ないとわかっているから、「愛してる」以外の想いの部分をいろいろと書けてしまっているのかな、とも思います。今まで付き合った女性に対してここで書き綴って来たような事は、まず言ったことありませんから。
そういう意味では、自分が高橋愛という「アイドル」のファンでいる、その見方の中にある『恋愛対象』というのも、ガチンコでそう見ている、という訳ではないのかもしれません。ガチンコで見られても恐ろしく困るでしょうけど。ただこの点を突き詰めて考えても大して楽しくないし、例えば福井西武の玄関前に飾られた、青い光に彩られた大きなクリスマスツリーを見ていると、この光を愛ちゃんと一緒に見たいな、って素直に思いました。
それでいいのかな、とも思います。そうやって、恋愛対象も含めたいろいろな想いの間を交錯して揺らめいて、『高橋愛』という存在を長く、これからもずっと応援していければいいのかな、って。
・・・・・よし! 書こう! ただちょっと元気に書かせて! 死ぬほど恥ずかしい(笑)!
愛ちゃん!これからも、ずっと、ずっと!
愛してる!!

僕がこの生ある限り追い続けるであろう、見果てぬ夢。
高橋愛
彼女の故郷、福井県に12月23日と24日の2日間、行ってきました。
最後の「紀行文」です。今回は2回に分けて書くことにしました。
□  □  □
福井に行くにあたって、3つのテーマがありました。ひとつは、ピアノを弾くこと。ひとつは、「あの町」へ行くこと。もうひとつは、『愛している』と書くこと。
この3つを明日書いて、今日はそれ以外のアホネタと(笑)、23日の朝から時系列でこんな感じの一泊二日でした、みたいなのを書こうと思います。僕は真面目な事だけ、というのは書けません。土台がアホですから真顔が持つのは3分間までです(笑)。
□  紀行文
眠れない。
ちょうどいいや、と思ってピアノの練習を始めると眠くなる。
ちょうどいいや、と思って寝床に付くと目が冴えてくる。
この繰り返しで結局寝たのが4時30分。起きたのが5時。
精神が妙な昂ぶりを見せているのがものすごく分かりやすいねアンタ、と自分にツッコミを入れながら福井への身支度を始めました。
タクシーで最寄り駅まで。最寄り駅から大阪駅へと。そこからは特急サンダーバード。今回は行きも帰りも、大阪からの所要時間が恐らく一番短いこの特急を使いました。これから数年間は福井には行かない、だからなるべく長い時間、彼処(あそこ)の空気に触れていたいな、と思ったからです。
前の晩にほとんど寝ていなかったせいで、大阪までの電車でもサンダーバードでも爆睡。今回の福井紀行は、事前の計画通りにいかなかった事が幾つかあって、そのひとつが「サンダーバードの中で寝てしまった」こと。
この特急は福井に行くまでに『湖西線』というルートを通ります。この湖西線、僕が今までいろんな所をいろんな交通手段で旅行してきた中でも上位に入る景色の良さだと思ってるんですよね。右側に座って窓の外を眺めると、そこには凪の琵琶湖が見えています。その落ち着いた、寂とした佇まいは決して海の景色では見ることのできない、風情豊かな光景です。
電車の窓枠に右肘を付いて顎を支えて、一瞬にして通り過ぎる近くの風景と相対的にゆっくりと流れていく遠い琵琶湖の風景を見るのが、いつも好きでした。でも今回は、席に座って気がついたら福井、という熟睡モード。ちゃんと起きてれば見れたのに、というのがちょっと心残りでしたね。こういう「心残り」があと何回か出てきます。
□  □  □
9時過ぎに福井駅に到着。
電車で福井に行ったらまずなにがどうあろうと最初にするのが「駅そばを食べる」。これをしないと福井人じゃない(お前福井人じゃないじゃん)。
正式には「今庄そば」。僕が始めて福井に行った時は駅が新しくなる前で(去年高架化に伴う大改装)、その頃の駅そばは若干屋台を思わせるひなびた雰囲気を醸し出していました。駅舎リニューアル後も場所を移して健在です。このそばが妙に美味しいんですよね。恐ろしく美味しいというわけでもないんですが、「あぁ、福井に帰って来たんだなあ」と(だからお前福井人じゃ)ホッとするような味なんです。 具体的には、どうだろ?関東のおそばとも関西のおそばとも違うような。特に麺はあの辺りじゃないとなかなか食べれないんじゃないかなと思います。福井に行った折には是非是非ご賞味下さい。
宿泊する福井ワシントンホテルに一旦荷物を預けて、散策開始。因みに『あの町』へはマジメな想いで、「洋菓子のなかむら」へはクリスマスイブのアホネタ探す意味も含めて(笑)、次の日に行こうと思っていたので23日はスルー。これが後々泣きを見るはめになります。そうそう、もう当たり前のように愛ちゃんのファン以外の方に何の説明もせずに「なかむら」とか書いてますけど、話し出すと長くなるので近くにいる愛ちゃんのファンの方に聞いてもらえれば滔々と語ってくれると思います(笑)。
10時まで街をブラブラして、10時になるとほぼ同時に、ロフトや紀伊國屋書店無印良品が入っているビルへ。ロフトで買いたい物があったのでそれを探して、購入。何を買ったのかは明日書きます。その後はロフトの他のフロアや紀伊国屋や無印や連絡通路を渡って福井西武やらをブラブラと。
いつもはほとんど全く用事もなく福井に行くので基本的にブラブラしておしまいです。でも今回は『ピアノを弾く』という明確な目的を持って行っています。本番、というか弾きたいと思っていた場所で弾くのは次の日、24日。その前日に全く鍵盤に触れないというのはかなり怖かったので、事前に駅前にピアノを置いてる貸スタジオをネットで見つけていました。ロフトのビルを離れてからそこに向かいました。
スタジオの前に到着。シャッターが閉まってる。サイトでは24時間営業と書いてあった筈なのに。シャッターの前にスタジオのパンフレットを置いた棚がある。一枚取ってみる。24時間営業と書いてある。シャッターが閉まってる。どないやねん。
「電話予約したら開けてくれるんかいな」と思って携帯で電話したら留守番サービスの応酬で、結局このスタジオはあきらめました。これが後々響いてきます。いや、スタジオのせいじゃなくて自分のせいなんですけど。
□  □  □
<福井ひとくち情報>

福井駅前に東横インができるYO!
□  □  □
11時を過ぎてお昼時。なに食べよっかな〜と街中を見て回ってたら、「あ!」と思うものを見つけたのでそのお店に入りました。何を思ったかというとそれは、
カニを喰らう。
福井といえば「越前ガニ」が有名ですよね。でも1ぱい1万円とか1万5千円とかされた日には、負け組ど真ん中の僕の収入ではおいそれと手が出ません。以前の紀行文かなんかでもこの手の話をした事があって、その時に福井の方からコメントを頂いていたんです。かなり昔の話でうろ覚えですが、
「越前ガニは高くて地元の人間でもそんなには食べない。地元の人間は『セイコガニ(ズワイガニのメス)』を食べる。セイコの身やミソをご飯の上にほぐしてかき混ぜて食べるとチョー美味しい。」
というような内容でした。いつか食べたいなあと思いつつなかなか機会がなくて、そしたら今回、駅前近くに「セイコガニのカニ丼」を食べさせてくれる店を見つけたんです。あ、こりゃちょうどいいや、と喜び勇んで入店。
カニ丼(1500円也)を注文して、ほどなく登場。

めっちゃくちゃ美味しそう〜〜〜〜〜。
お店の人に「醤油たらして身とミソと卵をかき混ぜて食べると美味しい」と言われたのでその通りにグルングルンかき混ぜて、おもむろに カバッと一口。
ンマイ!(・∀・)
カニってあんまり食べないんですよね。高いっていうのが一番の理由ですけど身を剥くのがメンドイっていうのもあって(笑)。こうやって全部ほぐしてくれてガッツリ頬張れるって経験は、なかったような気がします。なんというんでしょう、3つが1体となって作り出す芳醇な海の香りがネットリと口の中に広がって・・・なんかの漫画みたいになってくるなこれ。
とにかく本当に美味しくて、終始半笑いで食べてました。マジで半笑いで食べてたので端から見ると相当気持ち悪かったと思います。でも自然と笑みがこぼれてきちゃうんですよ。そんくらい美味しかったです。1500円でちょっと高かったけど、思いっ切り満足しました。
お昼ご飯を終えて、また街中へと。この頃には通りを歩く人も増えてきました。カップルが多かったかな。次の日がクリスマスイブという事もあってかそれともそれをヒガんでるからそう見えるのか(多分そっちだな)ネタんでるからか(ネタんでるとか言うなよ)。まあ、冴えない大阪のブッチャイクなオッチャンがコート着て背筋曲げてトボトボ歩いてる姿はそうみっともよろしいものでもございませんで、ああ、もういいや、スタジオ探そう。・゚・(ノД`)・゚・。
そう、24時間営業のスタジオはシャッターが閉まってましたけど、他の場所のアタリは付けていて、食事の後はそちらに向かいました。何回も福井の街中を歩いているので、あのあたりに楽器店があったな、というのをなんとなく覚えていたんです。ひょっとかすると貸スタジオあるんじゃないかな、と思って。路面電車が走っている通りにその楽器店はあります。蛇足ですがこの福井市内を通る路面電車には1回も乗ったことがなくて、今回も乗らずじまいに終わってしまいました。これも「心残り」のひとつです。
楽器店着いて入ってみると、ビンゴ! 貸スタジオ発見。ただ店員さんに聞いてみるとピアノはなくてシンセサイザーだけだそう。でもとにかく鍵盤を弾ければよかったので、16時から18時の間で予約しました(その時は使用中だった)。
また街中をあちこちブラブラしてから(しかしブラブラするの好きだな・・・)スタジオへと。シンセサイザーとアンプのセッティングをしてから練習開始。学生時代にバンドの真似事をしていた当時を思い出しながらセッティングしてました。因みにギター弾いてました。なにげにギブソンのSG持ってました。目の覚めるような下手っぷりでした。
練習が終わって外に出るともう辺りは暗くなっていました。ここからホテルへチェックイン。レイトチェックアウトを選択していたので17時からチェックイン。翌朝は、というか昼まで(12時まで)部屋で過ごせます。ただ次の日はピアノを弾く場所を朝から予約しています。ですから12時までの必要はなかったんですが、起きてからバタバタしたくなかったのでこのコースを選びました。そしてこれも、後々いろいろ響いてきます。
□  □  □
<福井ひとくち情報>

福井駅に駅ビルっぽいのができるYO!
□  □  □
夜はお酒を飲んでました。で、ここからが問題なんです。
僕、思い切りお酒に呑まれてしまったんですよね。
7時くらいから9時半くらいだったかな?まで駅前の居酒屋さんで飲んでました。ここで当初の予定としてはさっき書いた「24時間営業のスタジオ」に入って練習するつもりでいたんです。0時くらいまでそこにいて、それからホテルに帰ろうと考えてたんです、当初は。
でもそのスタジオが開いてなくて、夜にすることがポッカリなくなってしまいました。いや、ホテルに帰って譜読みするとかいくらでもやりようはあったと思うし、そのあたり自分でもまだまだ甘いよなあ、と反省する部分でもあるんですけども、あと、最後の福井という事もあってちょっとテンションがおかしくなってたのかもしれません。とにかく、ここからハシゴを始めて相当呑んでしまいました。これが「後々響くこと」です。
僕は自他共に認めるお酒好きで、普段なら相当飲んでもそうそうツブれません。でも実はここ数ヶ月、健康上の理由からお酒を「断酒」に近い形でやめていました。今も家では全く飲んでいません。その状態から一気に飲んでしまったので、完全にツブれてしまいました。多分2時か3時くらいまで飲んでからホテルへ戻って、バタンキュー。で、翌朝からが大変だったんです。
□  □  □
次の日の朝。
とにかく体が動かない。自分で「ワシャ何しにココ来とんねん」と腹も立ちましたが、酒に関して自分で自分にムカつく事は昔から山ほどあるので半ば諦めつつ、この状態ではなるべくピアノを弾きたくないなと思ったので、その日弾く予定だった場所に電話をしました。
予約を取っていたのは9時から12時まで。これを、延長料金を払って9時から17時までにしてもらいました。そしてレイトチェックアウトだったので12時ギリギリまでホテルの部屋で体調を整えて、昼からピアノを弾きました。このため、ピアノを弾いた後に予定していた事が全て後手後手に回ってしまって、「洋菓子のなかむら」へは行く時間がなくなり、『あの街』の滞在時間は2時間弱、という、なんともらしいと言えばらしいけど普通にアホみたいな事になってしまいました。
まあ、多分これもいい思い出になる・・・日が来ると思います(笑)。印象的な1日ではありましたね。夕方からは時間に追われて、もうバッタバタしてました。ピアノについて、そして『あの街』については明日、愛ちゃんに対する想いと共に書きたいと思います。なかむらへは、また数年後に行きます。
『あの街』から福井駅に帰って来たのが19時前。ちょっと駅前でいろいろしてから19時半くらいの大阪行きサンダーバードに乗り込みました。車内ではまた瞬時に熟睡状態。気がついたら淀川の橋の上を渡っていました。ただこの時の熟睡はその日慌ただしかった疲れと共に、「この日に行く」と決めてからの1ヶ月強の間、とにかくピアノの事で精神的にせっつかれていた状態から解放された安堵感から来るものも大きかったと思います。今は、練習時間は以前と別に変わらないんですが、結構ゆっくりした気持ちで弾けてます。
こんな感じの、福井での一泊二日でした。
□  □  □
最後に福井での戦利品を(笑)。

お茶碗。いや、最近使ってたの割れたんで(地元で買えよ・・・)。
実はこれ普通のお茶碗じゃないんです。いや踊り出すとか歌い出すとかそういう意味じゃなくて、『越前焼』なんです。福井の名産品ですね。愛ちゃんと関係あるのかというと、おそらくほとんど関係ないと思うんですけども(笑)、福井に行くようになってから福井の文化自体が結構好きになって、例えば家で食べるお米は福井のお米だけですし、料理の時に使う包丁は『越前打ち』です。眼鏡も、激安のスリープライス製品が海外から入ってくる中、頑なに福井製を使ってます。

五月が瀬。これはもうデフォルトで買いますね。大阪でも売ってるので都心に出たら必ずといっていいほど買います。普通に美味しいですよ。僕はスナック等のお菓子類はあまり口にしないんですが、これは美味しいです。ピーナッツが入ってるクッキーと思ってもらえればいいんじゃないかと思います。

水ようかん。福井では、水ようかんは冬に食べるものだそうです。甘さ控えめで、これもやっぱり美味しいですね。以前に『久保田の水ようかん』を買っていて、今回は『江川の水ようかん』。

デューダ福井版』(それ買って一体・・・・・)
久しぶりにこういうの見たけど、本当に派遣とか請負が多いですねえ。ビックリした。
というか、そろそろ年齢制限に(号泣)。

『住mart fukui』(それ・・・・・)
言っときますけどこれ見てる時の僕の目は普通に真剣に物件探しです(爆)。
大阪に比べると段違いに安い。今住んでるとこの家賃で、福井では倍の広さのとこに住めますね。
ただ特集が新婚さん向け物件なのが相当涙を誘う、いや自分が自分で。

『北陸政界』(それ買ってどうすんだ!!!)
・・・これはかなり読みどころが難しい・・・・・。

明日から福井に行きます。基本的に最後の『聖地巡礼』です。やはり寂しさがつのりますが、それでも明日とあさっては福井にいられるので素直に嬉しいです。
福井ワシントンホテルの横にある佐佳枝(さきえ)神社で迫り来る前厄に震えおののきながらおみくじ引いてるオッサンを見かけたら声をかけてください。近くにある福井地方裁判所で一緒に裁判を傍聴しましょう(なんの?)。
□  □  □
「基本的に」最後の、というのは、これから数年は行けなくなるのでひとまずリセット、的な意味合いです。もう一生行かないという意味じゃない、というか、数年後からはまた年に数回でも行くつもりでいます。そのためのリセットですから。その意思表示みたいなものを、ちょっと気持ちの悪い「形」で表すつもりです。それは帰って来てから紀行文の中で触れたいと思います。
紀行文については、やはり基本的に最後になりますからそれなりに性根入れて書くつもりでいます。で、ふと「福井について書いた最初の日っていつだったかな」と自分で気になったので、日記を書き始めた2004年7月19日から調べていったら、次の日の20日にはもう書いていたというめちゃくちゃわかりやすい結果が出てきました(笑)。
id:tombouze:20040720
この中で、
仕事で嫌な事があったとき、逃げるように○○町に、福井に行くようになりました。
その静かな佇まいを見たり感じたりして、心の平衡を保つことができた、
そんな経験が何回もあります。
と書いています。当時は町名をそのまま載せていましたが、この更新では一応伏せ字にしました。なんかすっごい素直な書き方で、なんで今はこんなヒン曲がった書き方しかできないんだろうと我ながら泣けてくるんですけども(笑)、こうやって日記を書き始めた時から福井に対する気持ちを書いていました。 □  □  □
僕はコンサートへ行くよりも、ハロショへ行くよりも、多分娘。のCDを買ったりするのよりも、福井へ行くのが早かったんです。高橋愛のファンとしての『原点』が福井への紀行です。
そして、引用した文章にあるように、だいたい行くときは「逃げに」行ってるので(笑)、どうしてもちょっと弱い気持ちとか、負の気持ち、ネガな気持ちを抱えて向かってしまいます。僕は愛ちゃんへの想いを書く時、『ネガから転じさせる』書き方をかなり好みます。一時期はそういうのばっかり書いてたと思います。
僕の福井の紀行文が、るるぶまっぷるじゃらんのツアーレポみたいなのとはかけ離れて自分の内面をさらけ出してしまうのは「行ってる動機」と、「好みの書き方」が一致するからなんだろうな、と自己分析していますが、そんな事は知ったこっちゃねえ、くらいの勢いで今回はいろいろ書こうと思います(笑)。
□  □  □
あらかじめ言っておきますね。言っとかないといつまで経っても引っ越ししそうにないので(笑)。
来年、『高橋愛の瞳』をお引っ越しします。はてなから離れます。
『takahashiainohitomi.com』というドメインを取得して、さくらのレンタルサーバを借りました。ただ問題はここからなんです(笑)。 MovableTypeを年末年始で必死で勉強して、来年からそちらへ移行しようと思います。正直、ピアノの楽譜読んでたほうがいいです(笑)。こんぴゅうたあとか本当に苦手で・・・。
今のサイトのレイアウトは、自分が考えたものではなくて、人様から頂いたものです。本当にすごく感謝しています。
センスのない僕がこれ以上のレイアウトを思い付けるとは想像できないので(笑)、なるべく今の形を崩さない方向で考えていきたいです。
□  □  □
はてなから離れよう、という考えは今に始まった事ではなく、もう去年とかそのあたりから浮かんでは消えていたんです。でもなんとな〜くそのまま来ていました。
来年からは福井にもコンサートにも行かなくなる、ファンとして今までは違うステージに立つ、ことになります。ちょうどいい頃合いかな、と思いました。心機一転、新しい場所で書いてみるつもりです。
ですから、今度書く紀行文は、いろんな意味でラストです。ラストの紀行文。ラストの「はてな」。
そして僕が今、愛ちゃんへの想いをなに憚ることなく突き抜けて書けるのは紀行文しかありません。来年場所を移動してから、紀行文のない『高橋愛の瞳』で、どれだけの想いを書けるのか、今の僕には全く分かりません。その意味でも、もしかしたらラストかもしれません。
だから、いっぱい見て、感じて、それらを自分の気持ちと照らし合わせて、
書けるだけの想いのかぎり、書こうと思います。

tombouze2006-12-18

左指を動かさずに左指でキーを叩く術を会得しました(笑)。
キーの上に指を下ろすくらいならできますが、やはり鍵盤を叩くのは難しそうです。
でもせっかくピアノを練習してきた、その自分の行為は、
自分が一番大好きになってあげたい。
だから「ピアノ・レッスン」の更新をします。
□  □  □
ハロプロアワーで愛ちゃんが『ふるさと』を歌っているのを見たのが3月。
その月には「ふるさとでふるさとが弾きたいな」と思っていた、と記憶しています。
実際にピアノ教室に通い出したのは5月から。
でも『ふるさと』の楽譜にキチンと向かい合うようになったのは更に後で、9月とか、10月からの話でした。
僕が使っている楽譜は、
ピアノソロ ベストアーティスト 1 [モーニング娘。/松浦亜弥]

ピアノソロ ベストアーティスト 1 [モーニング娘。/松浦亜弥]


このピアノスコアに載っているものです。『ピアノソロ』ですから、ハロプロアワーのように「伴奏」だけではなく、右手で「メロディ」、左手で「伴奏」を弾く形になっています。それに、ハロプロアワーよりアレンジがかなり簡易になっています。間奏やエンディングは、短く、オリジナルのイメージが相当に無くなっています。初心者にも弾けるように考えられているんだと思います。
ただ、初心者とは言ってもピンからキリまでありまして、僕の場合は全くと言っていいほど楽譜が読めない、どこがドでどこがレなのかもいちいちあやしい、ドの鍵盤を叩いている自分がはなっから信用ならない、というレベルからスタートしています。
ピアノ教室に通い始めたかなり初期に、『ふるさと』の楽譜は先生に渡していました。でも「あなたのレベルでは難しいかも」と言われて、それは自分でもわかっていたので、最初の数ヶ月はヤマハの教本等で(通っているのがヤマハ音楽教室読譜と運指の練習をしていました。実際問題、『ふるさと』の楽譜を見てもなにがなんだかわからない。なにがわからないのかもわからない。といった状態だったので、これは必要な時期でした。
4,5ヶ月、そういう練習を繰り返すと、『ふるさと』の楽譜を見ても思わず顔を背けたくなるような拒否反応はかなり薄れてきて、そこから先生と運指を考え始めました。教本には「親指は1、人差し指は2」などの指番号が楽譜にくっついていますが、普通のピアノスコアには付いていません。ですから、どの音符をどの指で弾くのかを決めていく作業が必要になってきます。

楽譜に書き込まれている数字が、先生が考えてくれた運指の指番号です。
ト音記号の部分、右手で弾くメロディラインの運指はかなりの部分を先生に教えて頂きました。
ヘ音記号の部分、左手で弾くコード等の運指は基本的に自分で考えました。
譜読みが終わったのは今月に入ってから。『ふるさと』の楽譜と向かい合うようになってから2,3ヶ月経っています。
ヘ音記号の運指を考えるのにものすごく時間がかかってしまったのがその理由です。
それでも、この楽譜は僕のピアノのレベルではなかなか弾くのが難しいんです。それは譜読みを始めてからも先生に言われました。
先生は「なにがなんでもこのまま弾く必要はないんだから、簡単に弾けるようアレンジすれば?」とアドバイスしてくれました。
具体的には2つあって、まず1つは、「キーを変更する」。
ト音記号ヘ音記号の横に「♯」が2つ付いています。これを付かない楽譜にする。つまり、キーをDからCに変えてしまえば、それだけ半音上げる必要がなくなります。これは「黒鍵」を弾く必要がなくなる、という事で、この黒鍵が出てくるとどうしても僕のレベルでは指がダンゴ結びやらチョウチョ結びになってしまいます。ですから「キーをCに変えた楽譜を書きましょうか?」と言って頂きました。
もう1つは、「音符を省く」。
ト音記号の方にオタマジャクシが2つくっついてるのがありますよね。1つはメロディラインでもう1つは言ってみれば装飾ですから、メロディのほう1つだけ弾けばそれで一応、事は足ります。それにヘ音記号の方にしても、いろいろ音符が並んでますが、大雑把にコードが分かれば、それもやはり事は足りるので、例えば「G」のコードの時はソの音をボ〜ンと叩いておけば、いいと言えばいいんです。
クラッシックの楽譜じゃありませんし、著作権の許諾を得てアレンジャーさんが考えたスコアですから、絶対こう弾かねばならない、という類のものでもないんです。だから先生は「変えちゃえば?」と言って下さいました。でも僕は、なるべくならこの楽譜のままでやり通したいと思っていて、沸騰した頭と手首に冷えピタシートと湿布薬貼りながら譜読みと練習を続けていました。
「キーを変更する」というのは、実際自分で冒頭部分をCのコードに移調して弾いてみたんです。確かにかなり弾きやすくなりました。でも、曲の雰囲気が結構変わってしまうんです。なんというか、平板な印象になってしまうというか。先生には「♯の数が増えると“寂しげな”印象に、♭の数が増えると“明るい”印象になる」と教えて頂きました。これがカラオケボックスで調子っぱずれに唄ってるなら「そんなキー、声出ねえ〜」とか言って♯やら♭やらのボタンを押しまくりますが、『ふるさと』はDのコードで弾きたかったんです。
□  □  □
そして「音符を省く」というのは、しても良かったんですけど、なんとなく嫌でした。
それはものすごく誤解した、間違った、妄想が生み出した嫌悪感。
「音符を省く」という行為が、「高橋愛への想いを省く」行為に思えてならなかったんです。
□  □  □
先生の「簡単にすれば?」というアドバイスは「あなたにはまだ弾くのは難しい」という意味と同時に「無茶すると手首や指を痛めるから」という意味も含まれています。ピアノを弾いている方ならわかると思いますが、指の脱力もわからないまま闇雲に弾いていたら、腱鞘炎なんて簡単になってしまいます。
自分でそれは知りつつも、なんとかこの曲だけは、と思って、湿布薬片手に練習、くらいの勢いで練習していました。
来年からは無理のないレベルの曲を選んでマイペースに続けていく、でもとにかく、今年だけ、この曲だけ、と言い聞かせて毎日ピアノに向かっていました。
譜読みが終わったのが今月の上旬。この時はすごく嬉しかったですね。ピアノを弾き始めて一番嬉しかったかもしれません。
『ふるさと』の楽譜は3ページあります。「3ページの楽譜を読み通せる」、という事を自分ができるかどうか、正直自信がなかったので、最後の1音が弾けたときは本当に嬉しかったです。
譜面を読む、というのは、愛ちゃんのファンになってから「読めたらいいなあ」とは漠然と思うようになっていました。理由は単純。愛ちゃんは譜面が読めるからです。
愛ちゃんは「初見ができる」というレベルでしょうから、もちろん僕の「譜面が読める」というのは、とっかかかりの、「と」の、最初のひとふでを、書くために筆を墨に付ける、ための墨を硯ですってるくらいの初歩の話です。
でも、それでも、同じ『五線譜』をこれから見続けていく事が出来るかもしれない。
それが物凄く嬉しかったです。
□  □  □
あとは昨日書いたとおりです。間違いながらもなんとか全曲弾き通せるようになったと思ったら左手を怪我してしまい、明日は仕事を休んで病院に行くのでこんな夜更けに文章書いててもなんら問題がない、という体たらくになってしまいました(笑)。
手の平の麻酔が切れてから左手で弾いてみたんですが、やはり難しいみたいです。普通に痛いですね。叩くと傷に響いてきます。
とにかく福井には行くので、右手だけでメロディを練習しています。すると、メロディを弾いているつもりが「これメロディじゃないだろ」と思ってしまうほどに運指が稚拙に過ぎるのが、左手を使わない分如実に感じられてしまいました。止まる所で止まってないし、滑らかに続かないとダメな所で止まってしまっている。
これではとても「弾いている」とは言えない。
だから今回の左手の怪我は、自分のピアノをしっかりと見つめるいい機会だったのかもな、と考えるようになりつつあります。譜読みを終えた事は間違いないんだから、それは必ずこれからに繋がってくるだろうし。
来週の日曜日、福井に行くまでは、右手のメロディを見つめる作業を続けて行きます。そして、
「自分にとって『ふるさと』ってなんだろう」
「自分にとって『高橋愛』って、なんだろう」
そんな、答えが出るともない想いをピアノに重ね合わせられるように、なれたらいいなと思っています。