Saint Valentine’s Day

僕は今年、どうしても見よう、と決めているものがあります。
高橋愛の「笑顔」です。
テレビであれコンサートであれ、そこに高橋愛がいる時、
その時には出来うる限り、彼女の笑顔を確認していきたい、そう思っています。



というのは、僕は「陰」と「陽」があった場合にどうしても「陰」を見てしまう傾向にあるからです。
意識して見ないと、「陽」を見過ごしてしまう。
至上さんが問いかけた「愛ちゃんの表情」について書いた時、僕は「これからは柔らかな表情が見えるようになりたい」
みたいな事を書いたと思います。「笑顔が見たい」理由と、出所は同じです。



例えば、去年の秋のコンサート。白眉だったのはやっぱり「恋ING」「Memory青春の光」だろうと思います。
その表情や歌声。高橋愛のファンとして、かけがえのないものになりました。
そして、この2曲のうちどちらが好きか、と聞かれれば、迷うことなく「Memory青春の光」を選びます。
それは、この2曲の表情の比較云々以前に、「Memory青春の光」がよりマイナー調で僕好みだからです。
そちらのほうが、表情が見えやすい。僕自身の気持ちを曲に乗せるのが容易いから、彼女の表情もより鮮明に見ることができるんです。



でも、「恋ING」だって、さまざまな表情をみせているはずだし、
もっと言うなら、コンサートでこの2曲だけ歌っているわけでもない。明るい歌だっていっぱい歌っている。
でも、明るい歌は、僕は全くと言っていいほど印象に残っていないんです。
今は、それがなんだか嫌なんです。



「陰」の表現だけ見てそこで止まっているのは、何か見忘れているような気がしてならないんです。
「陽」に転換していくための「陰」だと思うし、「光」をよりまばゆく見せるための「影」だとも思うんです。
僕は高橋愛の「陽」や「光」が見えるようになりたいんです。性格的にどうにもならない部分もあるんですが、
だから、なるべく意識をして、「笑顔」を見ていこう。そう思ったんです。






なによりも、僕は愛ちゃんには笑っていてほしい。大好きな人だから笑っていてほしいんです。
その瞳を、喜びの光で輝かせてほしいんです。本当は、それだけで十分なんです。




僕は、高橋愛の「光」を、もっと見たいんです。