トラックバックを頂いたので、コンサートの感想を書く前に紹介させて頂きたいと思います。



アンテナ☆愛 (http://d.hatena.ne.jp/antenna_ai/



愛ちゃんのサイトを集めたアンテナをお作りになられるみたいです。ズラッと愛ちゃん一推しの人が書くサイトが並ぶのって
なんだか見てみたいなって、すごく楽しみです。
僕のアンテナにももちろん愛ちゃん一推しサイトが入ってます。僕がお世話になっている高橋界隈は当然としてそうではない
愛ちゃんサイトも登録させていただいていますが、おすすめ・・・。おすすめ・・・。
う〜ん、それぞれに楽しませていただいてるしなあ・・・。どうしよう・・・。
よし、ここは素直に、つばめさんで。って弱小サイトが大手サイトを推薦するなんて怖すぎて手が震える・・・。



つばめのお宿(http://loveaiaitakahashi.hp.infoseek.co.jp/



すごく文章がうまいし面白いし、それにやっぱり、愛ちゃんがすごく好きな人。桃子ちゃんも好きだけど、でも愛ちゃんが
好きな人。好きすぎるからあまり頻繁に書かないけど、それくらい愛ちゃんが好きな人。だと思ってます。
あの時の文章、本当に感動したんですよね。その時のリンクは貼らないけどなんだかその気持ちが凄く羨ましかった。
それくらい感動した更新でした。
そんなわけで、宝星さん、僕はつばめさんを推薦しまーす。





では予定通りコンサートの感想を。今日は『ふるさと』についてです。




□ 『ふるさと』


『ふるさと』について書くと言った以上書きますがこれが思った以上に難しいというか、考えすぎると頭が回らなくなるというか、
だからコンサートで見て、一見で感じた事を元に感想を書いていきます。
僕が高橋愛の『ふるさと』を聞いたのは今まで一度だけ。福井でのコンサートの時でした。その時は感極まっていて正直聞いて
いるのかいないのかよく分からない状態だったと思います。福井で聞く高橋愛の『ふるさと』。その音楽だけではなく音楽以外の
いろいろな要素がデコレートされて自分の耳に入ってくるのはもうどうしようもないし、それは歌っている愛ちゃん当人もそう
いう要素を感じていただろうと思うし、それ自体は音楽の聞き方として申し分のないものだとは思います。




今回の大阪ではそういういろいろな要素がなくなって、かなり落ち着いて愛ちゃんの『ふるさと』を聞く事が出来ました。
聞いている時、そして聞き終わった後に感じたのは、


・表情の多彩さ


・これで終わりじゃない


この2点でした。そしてこの2点は『ふるさと』に限らず多くの曲目で感じた印象でもあります。
愛ちゃんの『ふるさと』でとにかくびっくりしたのがその曲の中で様々な表情を出していて、それは喜怒哀楽はもとより
それを重ね合わせたような深みのある表情までも表れているような気がして、だから思わず目を見張ったんです。
表情の幅、という点ではこの曲が一番振り幅が大きいような気がします。Aメロの「母さんのやさしさ〜」の「母さん」と
サビの「MOTHER」では同じ「母親」と歌っていてもその表情は全く違います。底辺を流れているものは同じでも表に
出す表情が違う。




Aメロの「母さん」の部分では愛ちゃんは笑っています。サビの「MOTHER」では、あの、高橋愛のファンの心を締め付けて
止まない、切ない表情。そして底辺に流れているものは、「悲しみ」。僕にはそう見えました。
イメージとしては、『時間の流れの中を、ほんの少しの悲しみをたたえて旅をしている』、そういう印象を受けたんです。
空気読まずに言い訳しますがこれはタコ坊主のイメージですので。




僕はコンサート前の更新で「ふるさとって、何を歌っているんですか?」という質問をしました。そんな質問をしたために
ふるさとについて書かないわけにはいかなくなって今ウンウン唸りながら書いてるんですが、「何を歌っているか」は
今もってちょっと分からない。イメージは上に書いたとおりですが、それはあくまでイメージです。
愛ちゃんの歌を聞いて「これを歌ってる!」というのは、僕の乏しい感性では浮かび上がりませんでした。




ただ今の時点で感じているのは「ひょっとしたらこの先、もっと分からなくなるかもしれないな」という予感です。
ここからは上に書いた、


・これで終わりじゃない


の部分に入っていきますが、そして全体的な感想に入っていきますが、昨日も書きましたが前回見た名古屋と今回の大阪で
かなり印象が違うんです。名古屋では『ふるさと』を歌わなかったので比較は出来ませんが、他の曲で印象が違うんだから
『ふるさと』もやはり大阪以前とは印象は違うだろうと思います。
迷いがないというか、輪郭のぼやけた部分がないというか、それは表情にしても歌い方にしてもですが、なにか一本、
芯が入ったような印象を受けたんです。それは自信・・・というと何か言葉足らずな気がして。
『高み』かな・・・。




愛ちゃんが『高橋愛』という存在を表現者として認識したというか。愛ちゃんが表現者としての価値を高い位置に置き直した、
というか。自分自身の価値というよりも、表現者としての価値。
だから愛ちゃんは、歌を自分色に染めようとする。というとやっぱり言葉足らずな気がして、もっと言うなら、その曲を
自分の位置に引っ張り上げようとする。
愛ちゃんの『ふるさと』が他のどのメンバーとも違う歌い方になるのは、そのあたりに理由があるのかな、なんて思ったり
しています。メチャクチャ抽象的な事書いてますよね。しかもこれ違うんだろうなあ〜この見方。




でも、コンサートの終わった帰り道ではそう思ってたんです。今でもそんな気がしているから、そのまま書いてみました。
「これで終わりじゃない」というのはつまりは、彼女が表現者としての価値を高い位置に置く作業を繰り返していくのなら、
これからさらにその表現は深みを増していくだろうから、だから全ての曲における愛ちゃんなりの表現はこれで終わりじゃないはず、
と、そういう意味です。




『ふるさと』から始まってえらく末広がりな話になってしまいましたが、繰りっ返し言いますが僕の視点は変なのでそこは読み
飛ばしてくださって構いません。
ただ、これから愛ちゃんがもっともっと綺麗になっていくのは間違いないからコンサートで愛ちゃん見ましょうね、と締めくくって
今日の更新はここまでです。