tombouze2006-01-16

昨日は大阪厚生年金会館で行われたワンダフルハーツのコンサートへ行って来ました。なにやらこの会館が廃止・売却の危機にあるそうで会館内で署名活動が行われていました。
コンサートは朝、昼、夜の3回行われて、僕は3回とも入ることができました。始めての1日3回公演で、結構腰にくるものがありました。寄る年波には勝てん・・・。でもすごく楽しかったです。
で、コンサートについてどうやって書こうかなあ、と思って。なんか変わった書き方ないかなあ、と仕事の合間に考えていて、ふとひらめいたのが、
「自分のノートをそのまま出しちゃうか(笑)」
僕はこの日記を書き始めてから、愛ちゃんゴトで動く時は必ずと言っていいほどメモ用のノートを持ち歩いています。画像の左が初代、右が二代目です。最初は、当時よく書いていた『詩』の構想を練るために買ったものでした。それからしばらくすると『紀行文』のネタ元の比率が増えていって、去年の春の娘。コンサートからは『高橋愛を見た感想』を書く時の備忘録として使う事が多くなりました。
僕は基本的に頭がよくないし、もの覚えが悪いので、ステージで見た愛ちゃんの印象を忘れるのが怖かったんです。それと同時に、印象を言葉にする時のその「言葉」が後々出てこなくなるのも嫌で、それでコンサートが終わって会場を離れた時に、頭に浮かんでいる事をパッと書くようにしていました。
忘れるのが怖かった理由は、「講談師 見て来たような 嘘を言い」という格言(?)のようにはなりたくなかったからです。愛ちゃんが曲終わりに「ここはこれこれこういう意図で動いて歌ってました」と言ってくれるわけではないので、感想はあくまで『感想』です。ごく主観として感じた事に過ぎません。でも、その場で感じなかった事を「愛ちゃんなら多分こうだろうから多分こうだったろう」みたいに勝手に想像して書いちゃうのは嫌なんです。僕は愛ちゃんのファンだからどうしても「いい感じ」に書いてしまいがちです。もちろんファンなんだからそれでいいんだとは思います。ここでは何に対しても批判的な文章は書かない、と決めてそれをずっと続けて来てるんだから、なおさらです。
でも、こと愛ちゃんのステージングを書く時に際しては、必要以上のデコレーションをするのは慎みたいと思っているんです。自分の愛ちゃんへの気持ちを書くキモ文ではなんぼでもコテコテ生クリーム塗ります。それはこのキモ坊主の『気持ち』だからで、その気持ちはいくらでもクリームを塗り重ねられる気持ちだから、キモ文では、そうやって暑苦しく書いていても自分的にはOKです。
ステージでの愛ちゃんを書くのは『愛ちゃん』を書くためで、『僕の気持ち』を書くためではないから、愛ちゃんの事を書く時に僕の気持ちを入れてしまうのは、何かを見えにくくしたり濁らせてしまうみたいで、ちょっとなんかヤなんです。
もちろんそういう事を書く時に自分の『気持ち』を全く入れないなんて不可能だしそこまでする必要はないし、そもそも『気持ち』があるからそういう事を書きたくなるわけなので、そのあたりのバランスを取るためにも、まずは感じて、それをサッと書いて、そしてあらためて考える、という風に、必要以上の気持ちをそこで抑える役目を、そのノートには与えています。そのノートを、そのまま小さな画像として付けて(笑)、内容はこうやって本文に書いて、ってしてみようかな、と。
バッと書いてある事なので、妄想もあるし、だいたいそこから適宜修正を入れていくので「何書いてるの?」というのも多々あります、多分。昨日のコンサートで書いたページ数は12ページ。大きな文字で大雑把に自分しか読めない字で書いてるので(笑)、量的にはそんなに多くないです。
何回かに分けてアップして、それについて「なんだこりゃ」と自分にツッコミ(補足説明)を入れて行きます。書いてあるページの画像は小さくするつもりなので読めないと思います。それ以前に、何書いてるか分からないので読めないと思います(笑)。