tombouze2006-01-17

『どうしてこの人は、ホールを愛しそうに見わたすんだろう。
ゆっくりと視線を2階や3回に移していく。ちょっと唇を開いて、ちょっと嬉しそうに遠くを見つめてる。
自分の未来を楽しみにしてるような、心躍ってるような心の奥底でワクワクしてるような、そんな瞳で会場を見渡してるように見える。
先週のラジオで「NYへ行った。ミュージカルを見た」という話を聞いたから余計にそう見えてしまうのかもしれない。
この人は、NYの舞台で何を見て来たんだろう。
何を見ようとしていたんだろう。
これから、何を見ようとしているんだろう。』
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これが、朝の公演後に会場の近くにある上島珈琲に駆け込んで、パルマなんちゃらサンドをアイスコーヒーで流し込みながら書き殴った文です(笑)。「階」を「回」と間違えてるとこや打ち消しもそのまま書いてみました。普段はこんなに、字は汚くないです(笑)。誰に見せることも意識してない、自分が読めればいい文字ですから。普段はもっと、綺麗な字です(笑)。
最初がキモ文になるのは、前の晩から「まあそうなるだろうな」と想像はついてました。数ヶ月ぶりの愛ちゃんだし、それに前の日(土曜日)に愛ちゃんがラジオで「ニューヨークでミュージカル見た」と話してましたので。
それをリアルタイムで聞いていて「そうかあ、憧れのミュージカルを見たんだあ、そうかあ」、と思ってるうちにだんだん気持ちが高ぶりだしたというか焦りだしたというか、「なんか、なんか、なんか・・・」みたいになって(笑)。よくわからない(笑)。
あとこの時にはサイト巡回で拝見したDVDマガジンvol.4での愛ちゃんのインタビューの内容も頭に入っていたので、それも重なってコンサート前までかなりテンパッた状態だったんです。
そんなだったので、実際に愛ちゃんを見た時にその姿の何処かしらで『ニューヨークでミュージカルを見ている愛ちゃんの姿』を重ね合わせたり投影させたりするだろうな、お前は絶対するよ友坊主、と思ってました(笑)。
何を見てこんなキモ文を書いたかというと、コンサートの最初のMCの時の愛ちゃんの表情です。多分僕は今までに見た事ないと思うんですけど、ゆっくりと、ほんとにゆっくりと2階や3階を嬉しそうに見てたんです。なんというか、綺麗な景色を眺めるような感じで。その時の表情があまりによかったので釘付けになってました。
ここで『NY』を出しちゃうのは妄想の範疇だと思うので『感想』を書く時には他の書き方を探すと思いますが、ここは『ノート』のままに妄想を続けると(笑)、行って、見て、帰ってきて、舞台に立った時に見てきた事を遮断するというのも、あんまりないような気がするし、NYは舞台というものに対する意識を新たにする機会だったと思うし。「舞台は見るのもするのも好き」と言っている愛ちゃんにとってその場所はあらためて「綺麗な景色だな」と思えたんじゃないかな、それがあの『好きなものを楽しげに眺める』ような表情になったんじゃないかなって。いや、これは妄想で(笑)。
NYに行く前のコンサートでもそうしてたかもしれないし、次の娘。のコンサートでもそうするかはわからないし、『かもしれない』が多すぎる内容なので、こういうのはこういう更新じゃなかったらノートに書いたまんまで終わる文です。
それにしても、そうやって上を見渡してくれるのは僕的にはとてもよかったです。前列の人のレス云々の話じゃなくて、そうやって嬉しそうに愛ちゃんが見ている『空間』に自分もいられるんだ、と思うとこちらも嬉しくなってきたから。
ハロー!プロジェクトのコンサートなので四六時中愛ちゃんが出てはいないけどそれでもなんだか楽しかったのは、最初のMCで見せてくれたその表情が、何と言うかな、『一体感』みたいなものを僕に与えてくれたからかもしれないです。