夜公演は、前から6列目。
愛ちゃんは涙を堪えていた。
涙を見せないために下を向き、
涙を流さないために上を向く。
涙を紛らわせるかのように、会場の拍手に合わせて拍手する。
拍手なんか、したいはずもないのに。
したいはずなんか、ないのに。
それでも、愛ちゃんは堪えている。
なら、僕も堪えて書くべきなのだろう。
どれだけ納得の出来ない1日だったとしても。
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コンサートでの、こんこんとマコッちゃんのコメント自体は、公式サイトの文をなぞったもので、特に新味はありませんでした。
こんこんは涙を流さなかった。昼も夜も。
この人は強い。他で時々ホロッと泣いたりもするけど、ここぞと言う時に彼女が涙を流した事はないような気がする。
マコッちゃんは、声を上ずらせていました。
普段「愛ちゃん!」とすら叫ばない、ただ席の前で立ちつくしているだけの自分が、その瞬間に「麻琴ぉ!」と声を張り上げていました。
マコッちゃんは、今日、左足の膝下にテーピングをしていました。思えば、今までのコンサートでも、時折テーピングをしていたような気がします。彼女は、闘い続けていたんですよね。
曲が続いて行く間、二人がいなくなったモーニング娘。を想像したりもしました。
想像できなくて辛いんじゃない。
想像できてしまう、それが嫌でした。
ステージにぽっかりと空いた穴が見えてしまう。
もう、秋のコンサートにはこの二人の姿がない。
それが信じられないんじゃなかった。 確かだから、涙が出てきた。 僕は、こんな涙を流すためにコンサートに行ってるんじゃない。
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高橋愛は、この二人に学ぶべき点がまだあるのです。
ダンスのリズム取りに於いて、高橋愛小川麻琴ほどのフレキシビリティを持ち合わせていません。
小川麻琴は、その時の状況に応じて、ギターのインプロのようにリズムや動きにアドリブを入れる事が出来ます。高橋愛は、小川麻琴ほどに、リズム取りに柔軟性が出来ていない状態です。
高橋愛はDVDで、「可愛い曲とカッコいい曲でダンスに差を付けている」という類の話をしていました。しかし、ダンス、という点に限定すれば、その差を更に広げる余地は多くあります。去年の秋のコンサートでの、紺野あさ美の「涙が止まらない放課後」のソロの可愛いダンスに、見るべき点は多々あるように思います。紺野あさ美は自分が可愛いキャラだからキャラ通りのほうがやりやすいので「涙〜」のようなダンスをしていたのではありません。「可愛い」という事を自分なりに考えて、戦いの末に勝ち取った世界なのです。
・・・いや、こういう、必要、必要じゃないみたいな話以前に、
愛ちゃんと、マコッちゃん、こんこん、そして、ガキさん。 この4人が離れてしまう。
そんな日が来るなんて、想像もしなかった。
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こういう書き方をするのは、今日だけです。
なぜなら、彼女達がこういうのを望んでいないからです。でないと、大阪のラジオのネタをラストにする、なんて事はしないでしょう。コンサートでは無闇に悲しみに陥る方向には行かず、終始滞りなく進んで行きました。ファンがちゃんとコンサートで楽しむ事を望んでいるのです。また、それこそがプロの矜持とも言えるでしょう。だから、こういうネガっぽい書き方をするのは、今日だけ。とあと卒業の日あたりだけ(笑)。それまではいつものように、愛ちゃんへの下手な考察を打ち続けます。それは、僕がコンサートを楽しんでいるという証拠のひとつでもあるからです。
最後に。
夜公演のラストMCの時のこんこん。何かコンサート中にヘマをしちゃったみたいです。それに言及して、一字一句こうではありませんが、こういう事を言ってました。
「こういうボケてる部分も含めて、忘れないで下さいね。」 
忘れないよ。
絶対に忘れないよ。こんこん。