だんだん書く予定がずれ込んでいくのが自分で先々恐ろしいんですが、今日はコンサートの感想を書く予定だったのを変更して、昨日打ったトラックバックについて書きます。ここであんまり書かないような内容です。僕にしては、珍しい。
少しだけ、「杞憂に終わってくれればいいな」という部分があったので。
昨日仕事から帰って来て、すぐにピアノ教室に向かわなければいけなかったので、身支度をしながらサイトを巡回しました。そして、トラックバック先の方の日記を見た、次の瞬間には「メモ帳」を開けて日記を書き始めてました。僕は一旦「メモ帳」に本文を書いてからそれをコピー&ペーストして編集画面に貼り付けています。いや、これはどうでもいいんですが。
トラッバックを打った理由は2つ。ひとつめは、もう普通に、『青空の10人』というフレーズがとてもいい、と思ったからです。今のモーニング娘。を象徴するのに、最も適しているかどうかはわかりません。でもこういうのは、理詰めじゃないですから。
これだけ『青空の10人』という言葉が広がりを見せているのは、この言葉を見て、今の10人に『青空』を見出した人が多かった、という事なのでしょう。僕自身にしても、メンバー10人達の未来が、青空のようにどこまでも見渡せるものであって欲しい、そう思ったから即座に反応したのだと思います。もちろん、これから卒業していく2人のメンバーに対するオマージュも含まれているのでしょう。
この『青空』という言葉は、言うまでもなくアルバム「レインボー7」の中に収まっている「青空がいつまでも続くような未来であれ!」から出ています。その、少しずつでもいいから一歩ずつ前へと進んで行こう、という歌詞内容は、特にコンサートのステージでメンバーが輪になって回りながら歌ったりトレインを組んで歌ったりと、娘。としての「かたまり(集合)」感じさせてくれるのと合わせて見ると、とても感慨深いものがあります。
そういう諸々の要素が重なって、いろんな方が『青空』という言葉に感じ入り、『青空の10人』というフレーズに価値を見出したのだと思います。これは他人事ではなく、僕自身がそう感じたから、トラックバックを打ちました。
もうひとつの理由は、トラックバック先の日記の、管理人の方が素晴らしいと思ったからです。管理人の方は、こんこんのファンをなさっています。卒業を数ヶ月後に控えたこんこんの事を考えると、気が気じゃない所の騒ぎではない筈です。翻って自分の身に置き換えて考えると、そんなの置き変えて考えるのも難しいですもん。もし僕自身がファンの対象としている人が今のような状況に、と考えると、背筋に寒いものが走ります。すごく恐ろしい。
とてもじゃないけど他の事を考えられる余裕を、持てる自信はありません。
でもその管理人の方は、自分の日記に『青空の10人』という言葉とリンク先を貼りました。絶対に辛い筈なのに、そんな状況の中でもきっちりと娘。を全方位で愛し、更に前へと進もうとしている。
心から尊敬するし、敬服しました。だからトラックバックを打って、少しでもその方の日記と、言葉を見に行ってもらいたいと思ったんです。ここは怒涛の弱小サイトですが、普段から大雑把な書き方しかしないので「お前それじゃ意味わかんねえんだよ仕方ないクリックするか」という方が数人はいらっしゃるのではないかとも思いました(笑)。
これが、トラックバックを打った理由です。
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いわゆる「青空スレ」を見ていて、ちょっと、そうはなって欲しくはないな、という部分がありました。
少しずつ、排他的な意見が見える割合が多くなったように感じるんです。
今の10人を大事に思うのはすごくいい事だと思います。特に、今は時期が時期ですし、ひょっとしたら僕は空気読めてないタイミングでこれを書いてるのかもしれませんが、とにかく、今、10人をしっかり見て行こう、楽しもう、感謝しよう、ありがとう10人、というのは、僕も持っている気持ちですし、日曜日はSSAに行きますけども、いつもはコンサート中、そんじょそこらの田んぼの案山子には負けない自信があるくらいに、ただ立ち尽くしてるだけの僕がその日は「青空が〜」の歌の部分で青いサイリウムをブン回してると思います。
ただこの先、そういう気持ちが排他的な方向に行ってしまう、言ってみれば「青空厨」みたいになってしまうのは、とても勿体無い事なんじゃないかな、と思うんです。
こういう、「〜じゃなきゃダメ」とか、「〜ねばならない」的な考えを持ってしまうと、「〜」の中に自分が大切にしている者以外の新しい何かを入れられると、たいていの場合拒否反応が出てしまいます。新しいものがよりレベルが上か下か、という話以前に、思考と想像力が停止してしまうのです。
それは、モーニング娘。という「エンターテイメント」を見る上では足かせになる場合が多いような気がするんです。
娘。なんていつなくなってもいい、とかなら話は別ですよ。でも、これからも見て行こうと欲するなら、なるべく排他的な気持ちは作らない方がいいんじゃないかな、作っちゃうと、勿体無いんじゃないかな、と思います。
「そうは言ってもそういう感情が出てくる事は止められない」というのもわかります。やっぱり、これも理屈じゃないですから。
でも、あえて、そこを堪えてもらって。ここは、心をイケメンにして。
青空がいつまでも続くような未来であれ!』と願うのであれば、その青空を自らの手で曇らせてしまうのではなく、雲を自らの手で払いのけるようなファンでありたいと思うのです。
『青空』は、みなさんが見ている、10人が飛び立っていく前方だけにあるのではない。
後ろを振り返れば、飛ぶ事さえおぼつかない、新しい誰かが、『青空』を探し求めて近づいて来ているのですから。