右手だけでキーを叩いてます。左手を怪我しました。
後で裏サイトに証拠の画像を貼ります。場所を知ってる方だけ見て下さい。
別に傷口を見せてる訳じゃないですから、包帯巻いてる画像ですから、変なものは載せないので安心して見て下さい。
気持ち、書きます。
怪我の描写が出てきます。そういうのが苦手な人は絶対に見ちゃダメです。
行間を大きく開けておきます。
ロッテのガムを想像して下さい。クールミントみたいに平べったいタイプのガムです。
そのガムが4mくらいの長さで、鉄製で、先が尖っている。
そんな形のワイヤーを仕事で使っています。
そのワイヤーが手のひらに突き刺さりました。
貫通はしませんでしたが、手の甲がワイヤーで膨らむ程度には通ってしまいました。
こういう時は貫通したほうがむしろ良かったりするんです。血が外に抜けますから。
中途半端に止まると、のちのち内出血の苦痛を味わう事になりますから。
あ、と思った時にはもう遅くて、既に血が溢れ出して止まらない状態でした。
それを見た瞬間何よりもまず頭の中に浮かんだのは、
「ピアノは?」
右手で左手を押さえても血が止まらなくて、両手から血がこぼれ落ちて、
床と自分の靴が血で濡れていって、その量に吐き気をもよおして意識が遠のいていく中で、
「ピアノは?」
「福井に行くのは来週なのに?」
「今まで俺は何のために練習してきたんだ?」
本当は明日『ピアノ・レッスン』の更新をするつもりだったんです。
辿々しいながらも、間違えながらでも、なんとか一曲通して弾けるように最近なったんです。
ピアノ・レッスン』はそこまで来ないと書きたくなかった。
「いつかは弾ける」なんて絵空事じゃなくて、現実に「想い」を「形」に出来た時。
その時に心を込めて書こう、と決めていました
明日がその日だった。書くのをちょっと楽しみにしていた日だったんです。
病院に着いて、看護婦さんに血まみれの手と靴を綺麗に拭いてもらって少し気持ちが落ち着いたら、
今度は自分に対する情けなさばかりが込み上げてきて、血の代わりに涙が溢れ出しそうになってしょうが無かった。
診察室に呼ばれて、ベッドに寝かされて、
手のひらに麻酔の注射を打たれても、その激痛より情けなさのほうが強くて、
そこで涙がこぼれた。
情けない。
なんて情けない人間なんだ。
家に帰ってきて試しに左手でピアノを弾いてみたら、とりあえず今は麻酔が効いてる為か、言うことを聞きません。
麻酔が切れた後も、まず、練習はできそうもありません。
傷自体は数針縫う程度で何週間かすれば治ります。
でも一週間では間に合いません。
福井には、
行きます。
来週の火曜日に、福井に行く前にもう一度ピアノレッスンを受けられます。
その時先生に指1,2本で弾けるコードを教えてもらおうと思います。
怪我をしたのがメロディを弾く右手じゃないのが不幸中の幸いでした。
最悪、右手だけでも『ふるさと』は弾ける。
先週買ったピアノ雑誌に、あるピアニストの初心者に向けたエッセイが載っていて、その中で、
「音符がたくさんあるほどいい、というイメージにとらわれないで」
「音楽は表現が命。音符が少なくても歌わせ方や強弱の工夫で素敵な曲になる」
という趣旨の事が書かれていました。
だから、左指の分も右指に込めて「ふるさと」を弾きに行こうと思います。
音符の羅列を弾くために行くんじゃない。
想いを音にするために行くんだから。