新たな旅立ち  


土曜日に、彼女が長い年月を過ごした町に行ってきました。
10月23日。あれから、もう一ヶ月。
僕が人生の何かを賭けたあの日々から、もうそれだけの時間が流れていました。


車から降りると、朝早かったこともあって少し肌寒いくらいで、
空を見上げたら薄い雲が、見えないくらい高い所まで上がっていて、
空の水色も、街路樹の緑色も薄くなっていて、
町全体にキレイな秋の空気が流れていました。


自分でも、何をしにあの場所へ行ったのか、はっきりわかっている訳ではありません。
気がついたら車に乗り込んで走り出していました。一睡もせずに。


寝不足で意識もはっきりしないまま歩き出すと、
もう町のあらゆる場面に高橋愛が見えるような気がして仕方がありませんでした。
うっかり街路樹にぶつかりそうになって、びっくりして上を見返したら
薄い黄緑の葉が光に透けていて、すごく綺麗で、
それを見つめながら、
やっぱり浮かんでくるのは高橋愛の顔だけ。


更新を止めてからの数日間、僕は今年行われたミュージカルのDVDばかりを見ていました。
高橋愛がソロで歌う場面。何回も繰り返し見続けていました。
彼女が泣きそうな顔で歌い上げる場面。彼女のそんな顔を見ると、僕も泣きたくなってくる。
僕が泣きたくなっているから、多分、その場面ばかり見ているんでしょう。


僕は彼女の存在にいろんな意味で助けられました。
でもそれでも、僕の心が根本から変わった訳ではありません。
僕は基本的に、悲観主義者です。ペシミスティックな考え方しかできません。
何の痛みもなく一瞬で消えてなくなることができるなら、それに越した事はないと思っています。
それは恐らく死ぬまで変わらないんだと思います。


それでも、こうやってこの町に来てしまっている。
彼女の姿を見たいと思う。
彼女の歌を聞きたいと思う。
仕事で手を抜きたくはないと思う。
日記で、自分だけしか書けない事を書きたいと思う。


その一つ一つが、高橋愛との、
どういうわけか好きになってしまった女性との”つながり”。
そのつながりを探し求める旅の途上に身を置いている時にだけ、
僕は生きている実感を感じることができるのかもしれない。


触れられるわけでもない。話せるわけでもない。
いくら澄んだ空でも手は届かないし、いつかはこの透き通った葉も落ちて枯れていく。
でも、その空に伸ばしている手は、絶対に汚れていない。
透き通った葉を見ている目は、絶対に濁ってなんかいない。
大好きな人とのつながりを探す旅。
その時に歩く道だけは、誰にも踏み荒らされていない。ふわりとした雪の道。
そして、目の前には、いつも、大好きな、高橋愛がいる。



そんな事を考えながら、誰もいない道を歩き続けていました。






以上が、リニューアルにおける「前口上」です。
今日から再開します。
これから、この「高橋愛の瞳」では、愛ちゃんのことしか書きません。
ただ、上の前口上みたいに、マジ〜メに、クラ〜く、を毎日やってたらさすがに持たないと思いますので、
よくやっている、( )内で自分にツッコミ、みたいなネタも入れていけたらいいな、と思ってます。


愛ちゃん以外のメンバーに関しては、「アンテナ」の横にある「友坊主の頬づえ」で書いていきます。
そちらでは、娘。のほかにも、ちょっと、自分の事について徒然に書いていこうかな、と思ってます。


とりあえずは、この体制で行こうと思います。それで行き詰るようなら、また考えます。
ただ、不安はありますが、迷いはありません。
ひたすらに、高橋愛への想いを書き続けるだけです。



ゴメンナサイ勝手なタコ坊主で。これからも、どうぞ宜しくお願いします〜。



最後に。日記に書く機会を逸してしまいましたが、はっちまんさん、「愛 WiKi」本当にお疲れ様でした。
先月の福井での飲み会で、もうお帰りになっているはずのはっちまんさんがいた時には
「どわ!」ってビックリしまして。ええ。はい。
でも、それだけ愛ちゃんが好きなんだなあって。愛ちゃんのふるさとにできるだけ長く、
愛ちゃんが好きなみんなとできるだけ長くいたかったんだなあって、すごく爽やかな気持ちになりました。
また日記始めてください。はっちまんさんの文が見たいんです。
本当にお疲れ様でした。