この「はてなダイアリー」で日記を付け始めたのが7月21日。
もう3ヶ月が経ちました。
この3日坊主のカタマリみたいなタコ坊主がほとんど毎日日記を
付けてる。しかも結構長文で。
自分でも信じられなかったりするんですが、そうやって書いてきた中で、
スラスラ書ける内容とウンウン唸って書く内容が、だんだん見えてきました。



ウンウン唸る代表が、やっぱり「コンサレポ」。も〜これは本当にニガテ。
既に自分であきらめてます。というか、僕、書かないほうがいいかも・・・。
いや、まともにコンサレポ書いた事ないから、書かないほうがいいもなにもないか。



スラスラ書ける代表が、「紀行文」。
おとといとか、昨日とか、聖地での出来事を書いてますが
こういうのだと何故か、どこで何をしたとか結構覚えてて、
クドい言い回しも相まって、長文でズラズラ書けたりします。



でも、普通の「紀行文」だと恐らく書けないと思います。
例えば来月の末に社内旅行があるんですが、それについての
「紀行文」を書けと言われても難しいですね。多分。
その社内旅行では、コンサートで訪れた「倉敷」もルートに入ってるんですが、
その部分なら、書けると思います。愛ちゃんに会いに行った場所ですから。



高橋愛に向かってたり、高橋愛のいる場所、いた場所を尋ねている時は、
向かっている道すがらの出来事や、
いる場所、いた場所のあらゆる物に「高橋愛」を投影しようとするから、
自然に脳裏に焼きついていくんだと思います。



これは「紀行文」として、遠くに行く場合だけに限りません。
毎日日記を付けてて、「・・・なんも書くこと思い浮かばん」
という日は、やっぱりあります。
そんな時は、ブラっと散歩に出る事にしてます。絶対に書くことが浮かぶからです。
愛ちゃんの事を考えながら、風の強さとか弱さとか、
草を踏みしめる音とか、子供達の話し声とか、
そういう「空気の流れ」に神経を集中させていくと、
何かが「高橋愛への想い」とシンクロしていく。



出だしの一行と、大雑把な内容だけ出てくればもう大丈夫。
部屋に帰って来てキーボードに向かうと、自然と長文書いてたりします。



僕はリニューアル前の日記で「高橋愛の事だけ書くとなると、毎日日記を付けられるか
どうかわからない。数日に一回になるかもしれない」と言いました。
リニューアルしてまだ3日なのでなんともいえませんが、
以外と毎日書けるかもしれない、と思い始めています。
上記のように、日常の些細な出来事から書き出せるからです。



それに、「書くことが浮かばない」ことはあっても、
「書きたくない」ことは絶対にありえないからです。
高橋愛について書きたくない日など、僕には考えられない。
毎日、高橋愛への想いを書き綴りたい。だから、浮かばないなら、浮かぶまで考える。
そうやって考えること自体が、”つながり”の一つだと思っています。




例えば今日は、直接的には「想い」に言及していないかもしれません。
それでもいいんです。





今、僕の心の全ての場所は、高橋愛で埋め尽くされていますから。