コンサートの感想を書きます。昨日の、夜の部です。
といってもやっぱり書くのは高橋愛を見ての感想だけです。
昨日の夜の部は、ご存知の方も多いと思いますがラストに感動的な場面がありました。
自分がその場に立ち会うことができたことを誇りに思います。あまりにも素晴らしい世界でした。
その部分については「友坊主の頬づえ」で書こうと思います。まだ書いていませんが、明日かあさってには
文章にしたいと思っています。
ただ、この日記では高橋愛の事しか書かないと決めています。この日記は高橋愛に捧げると決めているんです。
昨日のコンサートで再確認しました。高橋愛は、この日記のみならず、
僕の人生の一片を捧げるに値する存在だ、ということを。




昨日の僕の席はG列。7列目になります。中央より少し左寄りでした。
大きなモニターを見る必要はありません。表情をほぼ余す事なく捉えることができます。
もう、なりふり構ってはいられない。高橋愛しか見たくない、そうはっきり言い切ってしまってもいいかもしれない。
実際、目で追っているのは高橋愛ばかりでした。
ひょっとしたら、彼女は体調があまりよくなかったかもしれません。MCや大喜利の時によく咳をしていました。
それにもかかわらず、いや、だからこそかもしれませんが、一曲目の『女子かしまし物語』から彼女はテンションが
上がっていたように思います。曲のラストの少し前、彼女は舞台の右側でターンをします。そのターンが、前回見た
大阪のコンサートよりも速度が上がっている。斬れるように回るターン。一点のブレもない、綺麗なターン。それを見て
僕はこのコンサートが素晴らしいものになることを確信しました。




7列目という至近距離で高橋愛を見て、コンサートの冒頭から釘付けになった部分があります。彼女の『瞳』です。
大阪のコンサートの時も「こんなにギラついた目をする人だったのか」と驚きましたが、間近で見るそれは、魅力的、
という言葉だけでは全く足りない光を放っていました。その瞳は、僕にダラダラとコンサート観覧することを許さない。
これから見せるものをしっかり見ろ、と迫ってくるような、挑むような瞳がほぼコンサートのラストまで続きました。



そして、『恋ING』。この曲を聴きたいがために、重い腰を上げてコンサートに通い続けました。
これは、僕だけの感想かもしれませんが、僕は高橋愛の歌に「癒される」ということはありません。
それは、この『恋ING』のようなスローテンポの曲でも同じです。むしろ「生き急がされる」。
ライブで聴くと、その気持ちがより一層強くなります。彼女のせつない表情、歌のスピード感、抑揚の付け方、
細かく震えるようなヴィヴラートが、僕の心を激しく揺さぶる。突き動かす。何かしたくてたまらなくなる。
でもライブ中は高橋愛を見ることしかできない。だから、必死になって高橋愛を見るしかない。
恋ING』は、高橋愛の声の魅力を存分に味わうことのできる曲の一つです。そして、その声の真価はステージの上で
より一層発揮される、その事をこのコンサートツアーでつくづく感じさせられました。



『抱いてHOLD ON ME!』はコンサートで楽しみにしていた歌の一つです。
ステージ右側の一番高い所でひたすら歌う「もう一度好きって聞かせて欲しい」の部分に、さっき書いたスピード、抑揚、
ヴィヴラートが全て詰まっています。
その短いメロディの中に。だから、何回でも、何十回でも聞き続けていたかった。
そして、昨日の夜はこの歌を歌っている時に、おそらく照明の関係だとは思うんですが、高橋愛の目がピカッと光を放ちました。
その歌い方、そしてちょっとアゴを上げ気味にして踊る、挑むようなダンス、そして同じく挑むような目。
そんな中、キラッと輝いた瞳。もう正直に、興奮した、と書いてしまいたいと思います。下世話な書き方はしたくないので
書きませんが、はっきりと、興奮した、と書いておきます。



あと、よく言われる「高橋は手を抜かない」。これも確認することができました。
『抱いてHOLD ON ME!』の後は『サマーナイトタウン』。愛ちゃんや数名のメンバーはイントロだけ踊って
ステージの後ろへ消えます。この時のダンスでは、愛ちゃんには照明が当たっていません。
それでもわかる。影の中で全く手を抜いていないダンス。その目は照明が当たっていようがいまいが常に真剣でした。
とにかく、僕の中で、このコンサートのキーワードは『瞳』です。時々いわゆる「誤爆乙」という状態にもなりましたが、
別に僕を見ていなくても、僕のいるあたりを見て歌っている時はあると思うし、その時、ほぼ真正面に見据える高橋愛の瞳は
あまりにも力強くて、綺麗で、本当に吸い込まれそうになる、そんな感覚を覚えました。



歌も、言うまでもなく素晴らしい。
ここにいるぜぇ!』の最後に歌う「Breakthrough 自分を打ち破れ!」、今まで聞いた中で一番好きでした。
最初(昔)聞いた時は、ガナりながら歌うので「ちょっと不安定になりがちかな」と思っていて、
そんな感想は最近まで続いていたんですが、昨日は思いっきり叫んでいたにも関わらずすごく安定していて、あんまり
「完璧」という言葉は使いたくはないんですが今までで一番「完璧」に近い歌い方だったように思います。
簡単に言うと、震えました。




Mr.Moonlight〜愛のビッグバンド〜』『Hey!未来』と続きます。
『Hey!未来』の最後のパートは高橋愛。そして、次の歌の最初のパートも、高橋愛
『Hey!未来』で一声放ってから次曲に入っていくから、より深く入り込めるのかもしれません。
僕にとっては、『恋ING』と同じか、それ以上に大切になった曲。
『Memory青春の光』。



この時の高橋愛の表情を肉眼で見る事のできた喜び。はっきり言って、チケット代64Kが全く惜しいと思わない。
イントロへ入る前、美しいハーモニーで始まるこの曲。
「ひとりぼっちが 寂しいなんて 知らなかったわ」
ゆっくりと瞳を閉じて、心を込めて、噛み締めるように、悲しむように、慈しむように歌う。その表情。
イントロと同時に、ゆっくりと、そして決然と目を開けていく、その表情。
本当に腰から崩れ落ちそうになるくらいすごかった。
「さようなら」の部分。決して声を張り上げているわけじゃない。それでも会場に響き渡る透明な声。
虚空に引き込まれるんじゃないかと錯覚するくらいに透明な声。そして、その時の表情。
高橋愛が本当にか細く見える。でもそう錯覚させるのは、彼女の表現力以外の何者でもない。
この曲は、高橋愛の凄さをはっきりと感じ取れる。だから僕はこの曲を大切に思うようになったのかもしれません。



ライブも後半です。高橋愛のパフォーマンスを止める事はもうできません。
『シャボン玉』。そのダンスに震えた、というか震え上がりました。
思わず「なんだよ・・・」と言ってしまったのを覚えています。



僕は、「表現者」というのは、「表現する」という「欲望」を持っている人だと思っています。
食事をしたい。睡眠を取りたい。セックスをしたい。
そういう、人間が本来持つ欲と同じ位に「表現する」ことを欲する人。常人では持ち得ない欲望を持っている人。
プロだから手を上に突き上げるのではなくて、
突き上げたいから、その衝動を抑えられないから突き上げる。そういう感情を持ち合わせている人。
それが「表現者」だと思っています。



高橋愛は、そういう感情を持っている。昨日の『シャボン玉』のダンスを見て僕はそう感じました。
全てをかなぐり捨てたように髪を振り乱して踊り続ける。もう誰も触れることを許さないように。
物凄い形相をした目つき。もう、「怖い」と言えるくらいの、真剣という言葉を完全に超えている目付き。
怖い。でも引きずり込まれる。見なければいけないと僕の中の何かが叫び続ける。
もう完全に僕の知っている高橋愛じゃない。人はこれほどの高みに上れるものなのか。
まだ終わらない。更に我を忘れたかのように踊り続ける。もう僕には、まわりは何も見えない。
そして、みんなが崩れ落ちるようなポーズを取って曲が終わる。と、その時、



高橋愛が、笑ったんです。あの、鼻にシワを作る笑い方で。本当に嬉しそうに。心から満足したような笑顔。



愛しい。それ以外の言葉が見つからない。







ここから先、まだ4曲ありますが、感想はこのあたりにしようかと思います。
なんか、無駄に長くなった気もしますし。『浪漫』とかも、もんの凄かったんですが。
やっぱり、高橋愛がいい。この人のファンでいたい。痛烈にそう思いました。素晴らしいコンサートでした。




・・・疲れた・・・。5時間かけて書いてたのか・・・。明日は紀行文です・・・。ご飯食べよ・・・。