今週の土曜と日曜は福井に行くので日記はお休みします。
明日(金曜日)もお休みします。普段は土日にする掃除とか洗濯とか買い物を明日の夜に済ませてしまうので。
来週の月曜日に書き始められればいいと思っていますが、今回の福井にはデジカメを持って行くつもりでいて、
ひょっとしたらその画像を日記にUPするかもしれません。そんなスキルなど限り無くないので、それに手間取って
結局更新は火曜日とか水曜日になったりするかも。『 友坊主の頬づえ 』で簡易更新はするかもしれませんが、
画像UPする気がなくなったら月曜日から更新を再開するかもしれませんが、いづれにしても少しの間、ここは
お休みです。



そして、明日は僕が『 はてなダイアリー 』で書き始めてちょうど半年になります。
なので、ここはこの際書いておこうかなと思います。
『 高橋界隈 』についてです。




界隈について書く理由は2つ。ひとつは、自分の出自をちゃんと書いておきたかったから。
もう一つは、僕にとって『界隈』とはなにか、をちゃんと書いておきたかったからです。




『 高橋界隈 』は、今は確か10人くらいいると思います。僕は、その末席を汚させていただいています。
高橋愛の事が好きな人が集まって、メッセで喋って、時々会って話して。そういう界隈です。
そういう界隈なんです。それ以上でも以下でもありません。



ちょっと話は飛びますが、僕は『 はてなダイアリー 』の前に一週間弱、『 JUGEM 』で書いていました。
そこで『 高橋愛の瞳 』を書き始めたんですが、僕はその時、誰とも喋る気はありませんでした。
トラックバックも、コメント機能もOFFにしていました。ただ、文章があるだけ。
誰かしらには見て欲しい。でも、誰にも話かけられたくない。
師匠のTassyさんが当時この『 はてな 』で日記を書いていたんですが、僕が『 はてな 』で書く事に躊躇したのは、
その密なコミュニケーションが傍から見ていて「鬱陶しく」感じられたからです。



その頃から『 わたあめッセ 』は何故か知っていました。『 わたあめッセ 』は、高橋界隈で月に何回か行われるメッセの呼称です。
なんかすごく興味があって、でも多分参加なんて絶対しないだろうな、と思っていました。
で、JUGEMの、あの夏のトラブルが起こりました。



とにかく何も書けない。なにも読めない。数日分の書いた日記が全部消えてなくなって、こっちは書き始めたばかりだったから
いろいろ書きたい事もあったのに書けなくて、やむなく「まだ書き始めて間もないし、移転しよう」と決めて、その時に頭に
浮かんだのが『 わたあめッセ 』でした。



「ちょっと、人と関わってみようかな」「愛ちゃん推しの人と話がしたいな」そんな気持ちが大きくなってきて、
移転先のブログを『 はてなダイアリー 』にして、そして、『わたあめッセ』にいきなり参加しました。
確認したら、僕が参加したのは去年の8月9日(月)。 第7回からでした。



もうとにかく緊張してなにも喋れなかった。知らない、しかもたくさんの人といきなり喋るのとか全然慣れてないし、
それに当時テキストサイトの事はほとんど知らないような状態でしたが、さすがに、はっちまん、という名前は知っていたので、
その人がメッセに入ってくると「うわ、はっちまんや」と妙な驚き方をした覚えがあります。とにかく、終始無言でした。



ちなみにこの「終始無言」、今でもそれほど変わりません。僕はメッセでは『 ROM専 』でいる事が多いです。
じゃあ、嫌なのか、というともちろんそれはありません。僕は嫌な所に数時間ジッといるほど穏やかな性格ではありません。
高橋愛の事が大好きな人達が、なんやかんやと話しているのを見てる。それだけで、すごく楽しいんです。



だから年末、かっしーさんが自分の日記にイタズラで「わたあめッセは今年で終了」と書いた時(反転文字で続ける旨を書いてました)、
本当に心臓が止まるくらい驚いた。目の前に一瞬、影が下りたような気分になりました。






『 高橋界隈 』は、高橋愛が好きな人が集まっている界隈です。最初にも書きましたが、それ以上でも以下でもありません。
でも、今の僕にとっては、とてもとても大切な場所です。



もちろん、それぞれの人がそれぞれの、高橋愛との距離を持っています。見方も違う。推し方も違う。
当然僕自身も、僕だけの距離、見方、推し方を持っています。
でも、もし高橋界隈に入らなかったら、僕はそれらを突き詰めて行こうとはしなかっただろうと思います。



僕は、高橋愛になにも望んでいないし、求めてもいません。これも、日記を書き始めた当初から変わらないスタンスです。
ただ今は、高橋愛を見る『自分自身』に望むものがある。もっと高橋愛を見ろ、と、僕の中の何かがたきつけてくる。
そんな気持ちを生み出してくれたのは、高橋界隈の、僕よりもっと高橋愛を見てきた人達の、文章や言葉たちです。



コンサートの見方、バックボーン、そういう様々な要素をいろんな人達から教わる中で、
高橋愛の瞳に、ただの光以上のものを見出せるようになっていった。そう思っています。




そしてなによりも、高橋界隈に入っていなかったら、僕は今も、トラックバックを切って、コメントをOFFにして、
ただ一人で、日記を書いていたでしょう。高橋愛が好きなのかどうか、分からなくなっていく中で。





僕にとって『 高橋界隈 』とはそういう場所です。







この話に興味がない方には、大変申し訳ない更新をしたような気がします。
でも、僕の高橋愛への想いの、ある意味『 いしずえ 』でもある界隈について、こういう状況でもあるので、
あえて今回は書かせていただきました。