「友坊主の頬づえ」で書いたネタを更に間延びしてこちらに書いてしまいますが、
高橋愛みたいな声って本当は僕の好きなタイプじゃないはずなんです。





僕が今まで好んで聞いてきたボーカリストは、特に女性ボーカリストは太めの声の人が圧倒的に多いんです。
もちろん全員ブットい声の人ばかり聞いてた訳じゃないですが、でもやっぱり多かったのはそういう声の人達。
愛ちゃんも別にキャンキャンした声じゃないですけども、太い声だって出せますが、僕の本来の好みは「地」で太めの声です。




ヴィヴラートのかけ方も、僕が聞き入るヴィヴラートとは違うかけ方をしている、 はずなんです。愛ちゃんは。
僕は、ゆるやかな、朗々とした、長い時間をかけるヴィヴラートが好きです。聞いていてウットリとするようなヴィヴラート。
愛ちゃんみたいに、メロディが終わるあたりで細かく振るわせるようにかけるヴィヴラートは、やっぱり本来の好みじゃないはずなんです。




僕の、その声に対する『聞き方』も、高橋愛と他のボーカリストでは違ってたりするんです。
今まで聞いてきた声に求めてきたものって、「癒し」か「破壊」かのどちらかでした。
全てを忘れさせてくれるほど和ませてくれるか、なにもかも忘れさせてくれるほどブチ壊してくれるか。
そのどちらか。




でも僕にとって愛ちゃんの声はそのどちらでもなくて、前に向かわせてくれる声なんです。
忘れるんじゃなくて、なんとか向かっていこうと思わせてくれる。
うつむいて目をギュッと閉じているんじゃなくて、目を開こうと思わせてくれる。
僕にとって高橋愛の声はそういう声なんです。







僕の本来の趣向とは全く違う、高橋愛の声。
なんですが、今何よりも心が揺さぶられる声は、高橋愛の声です。
聞きたくてたまらなくなるのは、高橋愛の声だけ。
簡単に言えば『例外』ですけども『例外』ってなんか殺風景な言葉なので、
『奇跡』とでも書いておきます。





神様がくれたプレゼントを開けてみると、そこには『奇跡』が入っていた、とでも書いておきます。