その人のファンでいること。
その人を、いわゆる「推す」という行為。
これほど、人それぞれ、という言葉があてはまる行為もなかなかないような気がします。



今回の件に関して直接あれこれ言う権利は僕にはないと思っています。おそらく落ち込んでいる方もいらっしゃると思うんです。
真剣に応援していらっしゃった方、真剣に彼女を愛していらっしゃった方の事を考えると、少なくとも紋切り型の言葉をこの日記で
書く事は、僕にはできません。その当事者でない以上、投げかける言葉はどうしても外野の言葉になってしまうような気がします。



高橋愛に置き換えた時にどうなのか。これもすごく難しいと思います。
今の気持ちを書け、といわれれば書けない事もありません。今回のような状況を、将来考えていないわけでもないんです。
ただとにかく、そういう状況になってみないと分からない。どういう気持ちが生まれて、その気持ちがどんな勢いで心の中を揺れ動くのか、
その時になってみないと分からないから、現時点で信念めいた事を書くのは難しい。




それでも僕は、信念めいた事を書いてみようと思います。綺麗事かもしれないし、その時になって信念が覆る可能性もあるけど、
今、僕が高橋愛のファンとして、どう彼女と向き合っているかを書いておきたくなったんです。







僕の「アバウト」には写真をUPしています。高橋愛の写真ではなくて、白黒の、空の写真。彼女のふるさとへ行った時に撮った写真です。
空を見上げて、その向こうに高橋愛が見えたような気がして、スッとシャッターを切った写真。
その写真が、僕のファンとしての方向ををそのまま表しています。



   遠くにいる人を、祈りながら想う。



ずっと変わらない、僕の高橋愛に対するスタンスです。
日記を書き続けるうちに「もっと高橋愛を見たい」という欲求が自分の中で強くなってきたのは間違いありませんが、
それは僕自身の、僕個人の欲求です。高橋愛に対する欲求ではありません。僕が高橋愛に要求するのは、ただ1つだけ。



   幸せになって欲しい。



ただそれだけです。それだけを、祈りながら想う。
それが今の、高橋愛に対するスタンスです。




もし、今、高橋愛に恋人がいたとします。逢瀬を重ねていたとします。
彼女には幸せになってほしい。彼女が幸せなら、それでいい。






以上が、今の率直な気持ちです。これは、今は綺麗事の範疇です。想像の中での話ですから。 
その想像が現実のものとなったときに自分がどういう気持ちになるのかは、やっぱりその時になってみないとわかりません。




それでも、少なくとも、嘘だけは書いていません。 僕の目の前には今、高橋愛の写真があります。
その笑顔に誓って、嘘だけは書いていないつもりです。