やったー!konkonholicさんが愛ちゃんのこと書いてくれた(http://d.hatena.ne.jp/konkonholic/20050324#p2
から「自己完結」って書いていらっしゃるのに空気読まずにトラバしちゃおー!




『妖』・・・。『妖』・・・。YO・・・。



ダコダコイエイ! ダコダコ妖!



・・・いや、これを書きたいんじゃなくて・・・。



□  □  □



僕の旺文社漢和辞典だと、『妖』の第一義は『なまめかしい、うつくしい、あだっぽい』となってます。


konkonholicさんの書いていらっしゃる内容と、実は違う方向に書いていくのでkonkonholicさんには
申し訳ないと思うんですが、今回のコンサートでこの『なまめかしい』雰囲気を愛ちゃんからとても感じているんです。



『なまめかしい』の意味を調べてみると、


・異性の心をそそるような魅力がある。あでやかで色っぽい


が第一義になってるみたいです。あと、「みずみすしく美しい」とか「優美だ」とかあるみたいですが、
そういう女性としての魅力を、僕は今回のコンサートですごく感じています。



今回のセットリストに去年の大喜利みたいなロリ声発する場がないから余計にそう感じるのかもしれませんが、
去年は少ししか感じなかった「色気」を、今年はコンサートを通じて見て取れるようになっている気がしてます。
無邪気に笑っている時ももちろんあって、そんな時は愛ちゃん愛ちゃん!って見てますが、
「愛ちゃんより、愛さんのほうが合ってるかもしれない」そう思わずにはいられないほど大人びた表現を見せてくれる曲もありました。




それは淑やかな表情だったり、挑みかかるような熱を帯びた瞳だったり、身体のラインの微妙な動きだったりするんですが、
そういう色気って、もう高橋愛も今年で19歳だから年齢的なものもあるんでしょうし、恋をしているならそういう所からも
来るんでしょうし、モーニング娘。を引っ張っていかなきゃいけない、という責任感からかもしれないしってここまでくるとちょっと
僕の範疇ではなくなってくるんですが、
とにかく今年の高橋愛は、去年より女性としての陰影が濃く、そして深くなっている。そう感じています。当たり前の事なのかも
しれませんが。薄く浅くなるのもナンですし。




ただ、それで、僕ちょっと困ってるんですよね・・・。なんだか、『推し方』が自分の中で変わっていってるような気がして・・・。
女性としての魅力をより大きく見て取ったのが原因で、物凄くリアルな存在として高橋愛を見るようになっていってるんです・・・。




僕の推し方は、
「遠くにいる人を、祈りながら想う」だったんですが、
今は、もっと近くに行きたい、もしくは引き寄せたい、と思ってる僕がいるんです。こんな推し方、する訳ないよ自分が、って
思ってたんですが・・・。




だから名古屋から帰ってきてここ数日、結構なんというか切ないなあこりゃまたとか考えながら過ごしてたんですが、
そこにkonkonholicさんの『妖』を見て・・・。




・・・・・。




ウワアァァァンもっと切なくなっちゃったあぁぁ!!切なくなっちゃったからあぁぁ!!




だから『卒業』の時はちゃんとキーワードに参加しますね!!  ←要はこれが言えればよかった