福井の夜のコンサートの「音」を手に入れていました。
あんまり誉められたことじゃないし、だから今までのコンサートでは手に入れたことはないし、それがあの日の夜の音となると
尚更ブレーキをかけるべきだったのかもしれませんが、どうしても我慢が出来ませんでした。
でも、手に入れたのに、全く聞かずにただ持っているだけでした。ただ持っているだけでもよかったんです。僕は自分に自信がない
人間なので、自分の心の中と、自分の拙い文章の中、その他の場所にもうひとつ「音」が欲しかったんです。




「音」はもうメモリーオーディオプレイヤーには入れてあって、昨日はそれを持って都心へ出かけて来ました。昨日、その音を聞きました。
一番最後に入れていたのでその「音」が流れ出したのはもう帰りの電車に乗っていた時でした。
駅前のコンビニエンスストアでいつものように紙パックのコーヒーを買って、ゆっくり家まで歩いて帰りました。
春らしい、穏やかな季候が街を透明な温かさで包んでいて、
そこにときおり吹く風の音と重なるように、その「音」が耳の中に滑りこんでいきました。




『ふるさと』が流れてきたのは、いつも通る橋に足を踏み入れた、その瞬間でした。
進めていた歩が止まる。
もう動けなくなる。
橋の上流を見やると緩やかに右にカーブした川の向こう側に森が見える。その先にはいつもより少し薄い色の青空が見える。
その先に『あの場所』が見えてくる。その距離が限りなくゼロに近づいていく。




ステージの情景が鮮明に浮かび上がってくる。高橋愛が歌っている。ステージとその時見ている風景が何故か違和感なく重なって、
1つになっていく。
風景と、高橋愛の表情が1つに重なっていく。その風景自体が高橋愛になって、いつもよりもっと優しくてもっと光を反射するその風景が
あの曲を歌っていく。その場所から離れるのがたまらなく辛くて、曲が終るまでの数分間、橋の欄干に手を置いて、佇んでいました。





曲が終って、我に返り、そしてふと気が付くと、
右手に持っていた紙パックがクシャクシャに握り潰されていました。
僕は、疲れている時のような、あるいは泣いている時のような震えた溜息をつきながら少しだけ笑って、
「全部飲み干しておいてよかった」 そう呟きました。





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上のような文章が、本来僕がこの日記で書きたい文章です。日記を始めたのは、こういうのを書きたいと思ったからです。
「自分の日常の風景から高橋愛への想いへと繋げていく」文章。
それが、僕が書いていて一番落ち着く、というか充実感を覚える文章です。



最近始めてお話しする方も何人か増えましたし、昨日になってこのネタが出来たので、ご挨拶の代わりに書いてみました。
明日は『モーニング娘。×つんく♂2』について・・・書けるかな?