モーニング娘。×つんく♂ 2』の高橋愛へのインタビュー部分についてですが、インタビューの内容自体に対する感想を書くのは
やめようと思います。何回読んでもちょっと冷静でいられない自分がいますし、それに愛ちゃんがインタビュアーに話した言葉の
意味なり成果なりは、今現在コンサート等の場所で高橋愛本人が答えを示していっているように思えるんです(インタビューは1月
26日に行われたみたいです)。本人が答えを示しているのならば、僕ごときが話せるような事は1つもないような気がしています。




僕が話せるのは、僕自身がインタビューを読んで、その先どうしようとしているのか、どう行動しようとしているのか。
それぐらいしか話せそうにありません。
僕はこのインタビューを読んですごく不安になりました。今のままでは愛ちゃんを見失ってしまうかもしれない。



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愛ちゃんは、自分の表現に対する追求をひたすら続けている。ただひたすら『高み』を目指そうとしている。
その目指し方が、あまりにも力強かったり、健気だったり、儚げだったりするから、インタビューを読んでいる僕の中で何かが
堪えきれなくなる。
と、同時に、愕然ともしたんです。こんな僕に、高橋愛の何が見えるはずがあるもんか、と。




底ばかりを見ようとする人間に、『高み』を目指している人間の、一体何が見えるっていうんだろう。
『目指す』ことを忘れた人間に、何かを目指している人間の、一体何が分かるっていうんだろう。
いや、本当は別にそれでもいいと思っています。『高み』を目指している人間のことなんか見えなくたっていい。
何かを目指している人間の事なんか、ちっとも分かりたくなんかない。




でも、これ以上愛ちゃんの事が見えなくなったり分からなくなったりするのは、嫌だ。




高橋愛を見たり理解するための『糧』となるものを日々探し続けたい。そう思うようになりました。
いろんな音楽を聴いたり、映画を見たり、本を読みたくなりました。
常に心を揺さぶるものを求めたい。この鈍い感性に、いろんな色を付けていきたい。そしてそれらを総動員して高橋愛と向き合いたい。
そう思うようになったんです。そうすることで、もっと高橋愛を感じるようになれる気がしたんです。




でも、テレビやDVDやCDで愛ちゃんを見る時間は減らしたくない。
なら、ボーっとしている時間を減らすしかない。
インターネットにしてもテレビにしても、無意識に意味なく見るのを止めればそれなりに時間は生まれてくるし、寝る前に本を読んだり
も出来るはずだし、ちょっと睡眠時間を削るくらいできるはずだし、とにかくなにかできるはず。
もっとできるはず。




もっとなにかをしないと、あの人を見失ってしまう。
絶対に見失いたくない。




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僕がインタビューを読んで、その先にしようと思った事は要するに今の呆けた生活に対する決別です。
どこまで続くかは自分でもちょっとわかんないんですけども、インタビューを読む限りでは『待ったなし』状態みたいなので、
トイレットペーパーみたいなこの気質が溶けない限りは続けて行こうかなと思ってます。