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『友坊主の頬づえ』で簡易に書いたんですが、なぜかこの期に及んで結膜炎になってしまいました。
両目に症状が出てしまったために視界は常時ぼやけていて、ほとんど何も見えない時もありました。
そんな状態ではコンタクトレンズも入れられません。だから眼鏡でコンサートを見ていましたが、コンタクトでは1.5
出てる視力、眼鏡では0.7くらいしかパワーつけてません(ちなみに裸眼だと0.03とか0.04とか)。
席は2階の結構後ろで、しかもそんな状態なのでステージ上の大きなモニターすらロクに見えませんでした。
と、まともなレポは全然書けませんという言い訳を終えたところで、いや既に素晴らしいレポがいっぱい出てるので
気楽に好き勝手書きますが、というかまともなレポなど一度として書いた事などありませんが、例え見えなくても、
それでも行ってよかったと思えたコンサートでした。
目が使い物にならないので勢い頼りにするのは耳になりましたが、会場全体から聞こえてくるのは温かくて、そして熱い風の音。
その風の音を自身の体に感じる事が出来たのは、僕がモーニング娘。の、そして高橋愛のファンを続けて行く上でとても
貴重な財産になったような気がしています。
ファンって、なんだろう。ファンの気持ちに応えるって、なんだろう。
その1つの答えがあの場所にはありました。
その答えを見に行ったコンサートだったのかもしれません。
それは目が見えなくても、確かに見えた答えでした。
僕も、今までにないくらいに声援を送った、つもりです。普段が突っ立ってるだけなので100%増しの力を出しても他の
人が見たら多分突っ立ってるだけだったろうと思いますが、僕なりに声を出し、腕を上げて声援を送っていました。
最初の歌が始まった時は、そこにいるのが確かにモーニング娘。なんだ、という安堵、じゃないか、なんだか分からないけど
気持ちが堪え切れなくなって、喉を詰まらせてしまいました。この時は思い切り自分を殴りつけたくなった。
何にも見えない上に声も出さないんじゃ、ただの能無し、役立たずだ。
だから涙声で、ふるえた声で声援を送っていました。
でもそれは本当に最初のうちで、彼女たちのパフォーマンスを感じていくにつれ(見えないので聞くのが主体ですが)、
もう、ただひたすらコンサートを楽しむようになっていました。それはいつものような、楽しいコンサート。
モーニング娘。のコンサートでした。
コンサートが終わって、目が痛くてフラフラになりながらもすごく嬉しくて、次に行く予定だった福岡、今回の八王子行きで
かなりお金を使ってしまったのであきらめていたんですが、行きたくて仕方がなくなりました。
出来る限り行こうと思っています。そして今度は喉をつまらせることなく、いやその前に突っ立ってるだけなのをなんとかして、
そうして彼女達を見たい、そう思っています。
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モーニング娘。のコンサートに行って、そして帰って来ました。
ちょっと変わってしまったのかもしれないけど、それでも彼女達はモーニング娘。でした。
ちょっと変わってしまったのかもしれないけど、それはまた、新たな出会いでもあるのでしょう。
もう一度、彼女達への愛を確かめることができたんだから。