昨日は八王子のコンサート会場へ行く前にある場所へ寄っていました。中野です。
大阪を出発する時にはもう目や体の調子が悪かったので、JR中央線を途中で降りるのは正直おっくうだったんですが、
どうしても中野を歩きたかったんです。そこは僕が学生時代とその後、合わせて7年間を過ごした街でした。
大阪に帰郷して数年間、東京へは一度も戻って来なかったので久しぶりに思い出の場所を辿ってみるつもりで電車を降りました。




南口の改札を何故だかおそるおそる出ると、数年前の思い出が一気に蘇ってきました。
故郷を離れての一人暮らし。そこで僕は「自由」であることの素晴らしさ、そして厳しさを体で教わりました。
ゆっくりした足どりで向かったのは一番見たい場所。南口から徒歩で7分ほど。僕が住んでいたアパートです。
もうとんでもないボロアパートで、いわゆる「神田川」の世界です。風呂無し、共同便所、でも部屋は以外と広い6畳間。
僕の部屋でクーラーを付けるとアパート中のブレーカーが落ちるというすこぶるつきの物件でした。




それでも僕はすごく楽しかった。この部屋を起点として、そしてこの部屋を基地として、いろんな物を見たり聞いたりして
今の僕の感性は培われていきました。だから久しぶりに住んでいた場所を見たかった。2年ほど前に大学の友人がわざわざ
アパートを見に来てくれたらしくて、その時は「まだあったぞあのアパート」と言っていました。
だから、何の疑いもなく、「ある」と思っていました。




近づくにつれて僕の足どりは重くなっていきました。
なくなってる。
確かにアパートがある場所に見えてきたのは、建築中の建物を覆っている、白いマット。
鉄骨作りのマンションを作っているみたいで、もう以前の建物は影も形もありませんでした。
もう何も見たくなかった。アパート前の道路はものすごく狭いのにそこに建築作業の道具を置いているから
人一人通れるかどうかの幅しかありませんでした。僕はもうその場所に立ち止まるのが辛くて嫌で、まっすぐ前を見て
その狭い道をすり抜けました。ちゃんとガードマンさんが立っていて、僕に「すいません」と言ってくれて。
何故だからわからないけど、僕も頭を下げて「すいません」と呟いていました。




永遠なんて、ない。




それはもうずっと前から気づいてる言葉で、アパートの件は、僕の心の中にある「永遠なんてない」リストにまた一行、
ささやかに加わるだけの小さな出来事。そのリストにはもう何百件、何千件と細大もらさず記されています。
それでも僕は性懲りもなく永遠を信じてしまう。そしてまた、永遠がない事を知る。繰り返し続ける。
だからこれからもそのリストにはいろいろな出来事が書き込み続けられる。それは恐らく僕がこの世からいなくなるまで続く、
旅のようなものなのだろうと思います。






高橋愛
今の僕が永遠を信じている存在。
永遠などない、と知りつつ永遠を信じてしまっている存在です。
永遠などない、と知っている僕に永遠を信じさせてくれる存在です。




心の中のリストに白紙のページを作ってくれるかもしれない。
そのベージだけは、永遠に、純粋な白のままでいられるかもしれない。
そう思わせてくれる存在。




そんな存在が、もしかしたら悲しんでいるかもしれない。悩んでいるかもしれない。ひょっとしたら泣いているのかもしれない。



そして、その悲しみや苦悩を乗り越えるかもしれない。



それが、僕があの場へ行こうと思った理由の一つです。彼女が見せてくれる永遠に比べればほんのささやかな決心でしたが、
その決心は間違っていなかったと、そう思っています。
そしてあの場所で、見えない目で彼女を見て、いや、見えないからこそ、より『永遠』を掴み取ることが出来た。
いや、永遠を掴み取ろうと、もっと手を伸ばし始めた自分を見つけることができた。そう思っています。






そういえば、僕、「ありがとう」って言ってなかったような気がする。
今まで、彼女に「ありがとう」って、言葉を、呟き一つ放っていないような気がする。
その言葉は彼女に会った時に、気持ちを込めて叫ぼうと思う。
南の、青い空の下で。




□  □  □




と、こういう戯言を書けるようになったら僕の精神状態はノーマルです。
要するに福岡なんとかして行きたいなあって意味の戯言ですはい。
明日から通常に戻ります。う〜ん、また書きたいなあ、全然面白くないネタ話。