今日は閑話休題でちょっと聖地ネタを。
武道館でのコンサートの後、高橋界隈を含めた10人弱で居酒屋に入ってお酒飲んでました。
その時に、かっしーさんが僕にひとつの質問をしてきたんですけども、ひょっとしてここ見てる方の中にもそう思ってる
人がいるんじゃないかなあって思って。いやそう改まった話じゃないんですが。こんなん聞かれました。




(かっしー) < (聖地とかで)残像見るとか言ってるの、ブラフでしょ?




・・・ブラフじゃないです! マジだもん!




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というか、この質問を思い起こしてるうちにえらいことに気づいたんですが、高橋愛のファンって、聖地に行きますよね?
あれって、みんな、残像を見に行ってたんじゃないんですか?
聖地コンの時なんかそりゃあもうそこらじゅうヲタだらけになってるあの人達全員残像見える人達だと思ってたのです。
え?残像見てないんですか?そんな勿体無い! 残 像 見 る の は タ ダ な の に !




みんな普通にそういうの見てるもんだと思ってたので「友坊主は痛い」と言われてもイマイチピンと来なかったんですが、
誰も見てないものを見てるとなるとそれは確かにちょっと痛い・・・。
僕は時々聖地に行ってますが、行く理由の筆頭は残像見たいからなのです。ソースカツ丼とかは、食べますが、
行く理由の順位としては、2位以降です。




残像見る残像見る、と言っても、「ボーッとしててもそこら中に愛ちゃん見えまくり」という見え方じゃありません。
「ここに愛ちゃんがいたらどうだろう」とか「ここから愛ちゃん出てきたらどうだろう」とか、まずシチュエーションを
設定するんです。そして、しばらく時間が経つのを待って、そうすると、愛ちゃんが出てきます。




例えば今年の福井でのコンサートを例に上げると、メールでとある方に愛ちゃんが通っていたバレエ教室の場所を教えて頂いて、
コンサートが終わった夜にその前まで歩いて行ったんです。
バレエ教室の入っているビルの前に立つ。それだけでは何も見えて来ません。
ビルの奥に階段が見えて、エレベーターもないみたいだから、ああ、愛ちゃんあの階段上っていったのかなあ、と思いだして、
そこから残像の製作に入っていくのです。どうでもいいですけど、今僕ノリノリで書いてます。妙に書いてて面白いこの更新。




そこから、いろいろな五感を働かせるんです。あの日は雪が降ってたからその色とか、冷たさとか、雪が落ちていくスピードとか、
道路を通り過ぎていく車の音とか、その時によぎる風が肌に触れる感じとか、そういう自分の周りの空気を全て集めて一つにして
固めて、最後に僕の愛ちゃんへの気持ちをそのかたまりの中に入れて、そして目の前に放り投げる。
そうして出来るのが「階段を駆け上って行く愛ちゃんの残像」です。




だから、一つの残像を作るのに少し時間がかかります。僕は聖地を歩く時はかなりゆっくり歩きます。大阪生まれの大阪育ちなので
普段の歩きはメチャメチャ早いです。でもあの場所ではゆっくり歩かないと、残像はゆっくり浮かんでくるから、その残像を見たい
から、勢いゆっくり歩きになって、ちょくちょく立ち止まったりもします。
あんまり挙動不振な行動はしたくないので、デシカメ持って撮るフリして立ち止まって残像見てたりとかしたりもします。
あそこでデシカメ手に持ってる時点でキモヲタ丸出しですが。




僕が聖地好きな理由の一つに、そうやって「ゆっくりと」行動できる、というのがあったりします。
性格的にゆっくりできないんです。大阪弁で言う「いらち」。ゆっくり何かをしてるとイライラしてくるんです。
かといって仕事をテキパキしてるかというとそれはないというのが素敵な人間失格っぷりなんですが、仕事以外では、いらちです。




でもあの場所では、そういう自分がどこかへ消えて、ゆっくり歩けて、ゆっくりと立ち止まって、ゆっくりと愛ちゃんを見つけられる
から、本当はそういう「ゆっくりとした」人になりたいから、あそこではそうなれるので、だからあの場所へ行きたくなるんだろうな、
って思ってます。
それに、やっぱり、残像でもいいから、常に視界に愛ちゃんがいて欲しいなという気持ちも、あるのかな、多分。あそこなら
残像に困りませんから。




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う〜、こう書いてたらすごく行きたくなってくるんですが、コンサートツアーの出費が本当にキツいので来月のお給料を貰ったら
一回行くつもりです。本当にゆっくりできるのはあそこだけだから、僕は、自分の部屋でもあんまりゆっくりしてる気にならない
ので、ツアーも終わったことですし、来月には久しぶりにあの空気の中に入っていきたいなと思ってます。