今回のコンサートツアーを振り返ってみようと思います。
今日は僕の気持ちについて、明日は愛ちゃんについて書くつもりです。




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去年の秋のツアーで僕が最初に入った会場は倉敷でした。今回のツアーで最初に入ったのは福井でした。
去年の倉敷と今回の福井では、高橋愛のステージングを見る上での意識がかなり違います。
倉敷では、歌がうまいなあ、踊りがうまいなあ、というか、愛ちゃん目の前にいるんだなあ、
という感想だけでした。基本的にはそれで十分なんだと思います。
そう思われるのは、やっぱり愛ちゃん嬉しいだろうから、愛ちゃんが嬉しいなら、それでいいんだと思います。




そういう端的な感想で満足できなくなってきたのは去年の大阪でのコンサートからでした。
高橋愛のステージングの凄さを目の当たりにして、というか、『目の当たりにして』という言葉の意味を
字面ではなく意識で感じるようになって、そこから、こういう日記を書いている事も手伝って、
もっと細かな部分まで高橋愛を見てみたい、と思うようになりました。




歌がうまいのなら、そして、踊りがうまいのなら、
どの曲の、どの部分が、どううまいのか。
何故そこはそう歌うのか、何故そう踊るのか、何故そういう表情を見せるのか。
いわゆる「考察」を、下手な新参なりにしてみたくなりました。




今回のツアーは最初からそういう意識で臨みました。それが去年とは違う点です。
僕が今回行ったコンサートは全部で7会場、14公演でした。


福井   昼夜
滋賀    夜
名古屋  昼夜
大阪   昼夜(2日間)
八王子  昼
福岡   昼夜
武道館  昼夜




それぞれのコンサートで、それぞれ「高橋愛を見た感想」を書きました。
「紀行文」をちゃんと書いていない時でも「感想」は書いていると思います。
僕は「紀行文」は結構何も考えなくても長文で書けたりして、そこにそのまま気持ちを乗せられるし、
去年のコンサートだと「感想」を書くよりも「紀行文」を書くほうが楽しかったんです。




でも今回のツアーでは「紀行文」よりも「感想」のほうが、書きたい、という気持ちが強かった。
ただ去年も今年も、「感想」を書く時に頭を抱えているのは同じです。正直、難しい。
例え一人よがりの「感想」であったとしてもそれは愛ちゃんの表現に直接触れる文章になるので、
紀行文なら妄想番長一本槍で構わないでしょうけれども、「感想」を書く時にはなるべく、
まるっきり妄想、というのは避けたいと思っていました。




でも、自分が見て、感じて、書こうとしている事が果たして真実なのか妄想なのか、全く自信がなくて、
だから今回のツアーからコンサートを見た後に、サッとメモに感想を書くようにしていました。
「なんでそう歌っているんだろう」というのは後から考えるにしても、一見で見て感じた事はすぐにメモに書いておいて、
なるべくそこに書いてある事だけを書くようにしていました。後付けで見てもいない事を日記に書かないように。




「感想」は、本音を言うと書いていて楽しい、という部類の更新ではありません。難しい、とか、辛い、という気持ちの方が
強かったです。元々が「愛ちゃんキャワ!」で事足りる人間なので、そこから踏み込んで何かを書く、というのは
分不相応な気がしたし、もう、心痛の方が多かったと思います。
なら書かなければいいんじゃないか、って言われるかもしれませんが、難しくて辛くても、書きたかったんです。
書かないと、満足できなくなってました。
「感想」は、楽しくて書いていたんじゃなくて、「衝動」で書いていたんです。




ステージの高橋愛を見た時に、彼女は必ず「何かを書きたい」と僕に感じさせてくれたんです。
それを文章に置き換えるのは難しい、でもそうしたい、と思わせる何かを、愛ちゃんはステージの上でしてくれる。
だから僕はその時に感じた事を、そして愛ちゃんがそこに込めている想い、と僕が感じた想いを、
ない頭と語彙力のお尻を引っ叩いてでも書きたかった。
稚拙でもいいから、表現力がなくてもいいから、書いてる事がほとんど違っていてもそこに少しでも真実があるなら、
僕は書きたかった。高橋愛について書きたかった。
そこにいる高橋愛が好きでたまらないから、だから書きたくてたまらなかったんです。




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だから明日は、好きでたまらない愛ちゃんについて書こうと思います。
ツアーを通して高橋愛を見た感想を書きます。