僕がテキストサイトを見始めた頃か、それとも僕自身が日記を書き始めた頃か、いつだったかは正確に覚えていなくて、
まだ誰が誰ともつかないような、この世界の像をぼんやりとしか掴めていない、そんな頃に見つけた言葉を今でも覚えていて、
本当に誰が書いたのかわからなくて、ファンが書いたなのかアンチなのかそれすらも思い出せないのに、しかも一瞬読んだだけなのに、
今でも頭の中に残っている言葉があります。




高橋愛の声は、例えるなら、漆のような声』




一字一句間違いなくこう書いていた訳ではありませんが、こういう言葉だったと記憶しています。
誰が書いたのかな。 当時、なるほどなと得心した言葉でした。




これを書いた方がどのような意味でこう書いたのかすら忘れてしまっていますが、
決して派手な輝きは放たないけれども、何回も塗り重ねる事によって次第に光沢が深みを増していって、
最終の工程を経た時には数百年の風雪に耐えうる力を持つという『漆』。
なんだか愛ちゃんと重ね合う部分が多いんじゃないかなと思っています。




何回も薄く塗る。重ねて塗り続ける。次はここ、次はあそこと、ひたすらに刷毛を動かし続ける。
その度に艶は鈍い光を増やしていく。華美ではないけども、華奢でもない、力強くて確かな艶。
その一連の作業、そして結果としての艶が、愛ちゃんの声の変遷ととても似ているような気がするんです。




歌う。考える。また歌う。 重ねて、また重ねて。 もう一度、もっと、もっと、と重ねて。
そしてその声の艶は、朱ならば最高の朱の色に、黒ならば何物も混じる事を許さない漆黒に。
その声を求めて聞く者を更に捕らえて離さなくなっていく。
愛ちゃんの声は、そんな声なのかもしれません。




塗り重ねる作業は、高橋愛が求める間は続いていくのでしょう。そして、求めていくのでしょう。
ならば、その深みを増し続ける艶に、僕如きが抗うことなど到底できそうもありません。
無駄な抵抗など止めて、限りある時間の、そのリミットまで、高橋愛の「声」を聞いていたいなと思います。




それにしても誰だったかな、『漆』って書いたの・・・。