僕は若い頃、数年間ではありますが写真にのめり込んだ時代がありました。
その頃に一番好きだった写真家が、アンリ・カルティエ=ブレッソンという人でした。
とても著名な写真家で、やはり著名なロバート・キャパやデビット・シーモアらと『マグナム』という写真家集団を設立した、
特にスナップショットの分野で後世に多大な影響を与えた人物です。




既にこの世の人ではありませんが、この人が残した有名な言葉があります。




『撮影とは認識である』




有名ではありますがとても難しい言葉で、のめり込んでいた当時に何回も反芻してはその意味を考えていたのを覚えています。
『撮影とは認識である』に続く言葉は、いろいろと枝葉が分かれているんですが、大まかに書くと以下のようになります。




『写真とは一秒の何分の一かの瞬間に、事柄の意味とその事柄を適切に表現するフォルムの厳密な構成とを、同時に認識することだ』




僕は「愛ごころ」を鑑賞していて、久しぶりにこの言葉を思い出しました。
高橋愛という存在、18歳という年齢、表情やしぐさに見せる意志。
エネルギーの放射は常に変化を続けています。その変化を四角い枠の中に光と影の羅列として並べていく。
変化と羅列が調和し合致した時に、表情やしぐさは最高の輝きを放つのだと思います。




調和し合致するのは、瞬間です。今回の写真集はその瞬間をとてもよく捕らえていると思います。
表情の豊かさや姿態の躍動感を、調和の頂点にかなり近い所で撮影していて、
高橋愛が撮影で見せようとした「素に近い、背伸びしない、18歳の高橋愛」をうまく引き出してくれています。




「素に近い、背伸びしない」、と言ってもそれを「表現」として表さなければ、ただの記念撮影になってしまいます。
自分にとって「素」とは、「背伸びしない」とは、と考えて、言葉を変えればロケ地をステージとして、「演技」をする。
そして写真家は、その「演技」にふさわさしいフレーミングを理解して、シャッターを切る。




「愛ごころ」は、そんな両者の意志がとても高度に反映されている素晴らしい写真集だと思います。
過去3冊、計4冊出されている高橋愛写真集の中で、一番好きな1冊です。




□  □  □



でも、本当は、
抱き締めたくてたまらなくなったから、小難しい話に持って行っただけの話だけど。