tombouze2005-11-03







日常の足が自転車だけの生活になって1ヶ月半ほど過ぎました。
何年間も車での移動があたり前だったので、どうしても不便な気分は否めなくて、やっぱり外出時に雨だと濡れるし、
調子の悪い時でも買い物に行かないといけない時とかもあったりして、そんな時は、車って便利なモノだったんだな、
と再確認したりします。




それでも今は愛車を手放した後悔よりも、手放して身軽になった心地よさの方が大きいです。自転車は新しく買い替えました。
休みの日に、晴れていれば家のまわりをあてどもなく探検して曲がった事のない角を曲がってみたり、
今まで車で通り過ぎていた道を「意外と急な坂だったんだ」と驚きながらペダルを踏みしめてみたり、
幼い頃から高校時代まで通っていた道を「意外とこんな場所だったんだ」と新たな発見をしてみたり。




高校生の時にカセットのウオークマンで音楽を聞きながら死にもの狂いで上りきった急な坂道を、
今の僕はポケットサイズのmp3プレイヤーで聞きながら、でも上りきる事ができませんでした。







今使っているmp3プレイヤーは充電式で、バッテリーがなくなると突如として音楽が途切れます。
街中を走っている時にそうなると、生活の音が一気に耳に入ってきます。そしてその中に、ある「音」があります。
工場で糸を扱っている音です。




僕の住んでいる地方は古くから繊維業が盛んで、最近は日本以外からの輸入のために衰退しつつありますが、
それでも、現在でも日本有数の「繊維のまち」です。僕自身もその関係を生業としています。
繊維業にはいろいろな種類がありますが、それほど業界に精通しているわけではないので詳しい事は書けません。でも、
そういう工場から流れてくる音は子供の頃から聞き慣れていました。




機織(はたおり)工場からは織機が高速で動く地響きのような音が、
糸を巻く工場からは、機織工場よりも甲高い、カラカラと金属の回るような音が聞こえてきます。
mp3から流れてくる音楽が切れると、僕の街からはそんな音が聞こえてきます。
そしてその音は、『あのまち』からも聞こえてくるんです。




『あのまち』は絹織物が盛んだと聞いた事がありますが、絹を扱っている音かどうかはわかりません。
でもあのまちを歩いていると時折聞こえてくる、金属が激しく輪転する大きな音。
その独特の音色を始めてあのまちで聞いた時、その場所と僕の幼い頃からの『記憶』が一瞬のうちにリンクしていました。
だから僕は、時々たまらなく行きたくなるんです。




僕の『記憶』と、僕の大好きな人の『記憶』がどこかで繋がっているような気がする。
『記憶』の音は、風の音や稲穂や草の音と重なって更に深くリンクしていく。
まわりの風景や空や雲の動きも、その色も、音ならぬ音となって複雑に絡まりあっていく。
そして、大好きな人が、ただ「大好きな人」という存在だけではなくなっていく。







そんな事を考えながら自転車を走らせていると、今は夕暮れになるのが早くて、その早さに目が追いつかない時もあります。
暗くなっていく世界は一瞬その特徴をなくして、ここがどこなのか、
ここなのか、あそこなのか、わからなくなったりもします。




そんな時にあの「音」が聞こえてくると、そこでは、僕にはもう、ここも、あそこもなくて、
ただ記憶の中で揺らめいて、空を見ることしかできなくなってしまいます。