余計な話の第二回目です。今日は短めで。
お題は、キモサイトらしく抽象的に『空』にしてみます。




ラストキッスはコーラスを伴った曲です。『コーラスを伴った曲』で僕がつい思い出してしまうのは、
去年の秋ツアーの「Memory青春の光」と、今年の春ツアーの「春の歌」です。




今までで1番印象に残っている高橋愛の表情があります。それは去年の秋ツアーの最終日、滋賀のびわ湖ホールでのライブで、
「Memory青春の光」の時に見せた表情です。それは表現力の有る無し、上手い下手とはまた別の次元の、
一個の「感情を持つ動物」としての高橋愛を剥き出しにしてみせた表情でした。
あの時の高橋愛は、自身の感性とひたむきな努力と、そしてステージという奇跡とが相まって自由に大空を飛び回っていました。




飛び回るには、『空』が必要です。




あの頃は在籍メンバーに1期の人も2期の人もいて、彼女がセンターで歌い踊るのをしっかりと支えていました。
時々秋ツアーのDVDを見返しますが、その度に「バックが頼もしいな」と感じています。
高橋愛が心置きなく羽ばたくことのできる『空』を、作り出してくれる人たちがいたと思うんです。




今年の春ツアー。「春の歌」で愛ちゃんはコーラスを担当していました。とても素晴らしい声でした。
本当に軽やかに、でもしっかりと主旋律のまわりを飛び交うその歌声は、今でも忘れられません。
ツアーの途中までは、彼女は『空を飛ぶ』という行為に比重を置く事が出来ていた気がします。




ツアーの途中から高橋愛は、『空を作り出す』側に比重を置く事を突如として余儀なくされた。そして、
新曲でセンターを受け持つのと相まって表現方法が少しずつ変わりだしたのではないかな、と思うようになりました。
その変化を僕は今、ひたすら見つめ続けている段階にあるのかな、という気がしています。




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ラストキッス」は「Memory〜」や「春の歌」よりもコーラスが多用されていて、大変重要な位置を占めています。
愛ちゃんは他の2人に『空』を作り出す、自分の『空』を作り出す、そして自分自身が『空』を飛ぶ、
これを同時にしなくてはいけません。ちなみに僕は一人のメンバーについて書く時はその人についてしか書かないので、
他の2人の役割の重要性を認識しているつもりではいますがこの回では触れないようにしています。
とにかく、僕にとって「ラストキッス」を見ることは、愛ちゃんに課された様々な要求を彼女が乗り越えて、
そして更に、そこから彼女自身が『空』へと羽ばたく。それを確認することでもありました。