明日以降より通常更新に戻れると思います。今日は内省の更新で。でもただブツブツ内省しているのもアレなので、この日記のコンセプトをあらためて絡めながら、 やっぱりブツブツ独り言を。徒然に過去を振り返っていきます。
あ、それから、コメントを下さった方、メールを下さった方、文中をして下さった方にお礼を申し上げます。ありがとうございました。今は、「何回も読ませて頂いています」とだけ。 □  □  □ 2ちゃんねるの狼住人だった自分が「ブログを作ろう」と決心したのが一昨年の6月くらいだったかな。その時からのコンセプトとして、「批判、批評、議論をしない」と「常にやさしい言葉を選ぶ」がありました。狼では常に煽りや叩きがあったので、僕が作る世界ではそういうのは無しにしよう、という意識は最初から持っていました。
そしてそれとは別に、狼では書けない何かを書きたくてたまらなくなっている自分がいて、その『何か』を表現する場をブログを始める少し前らから欲するようになっていました。ただ、『何か』書きたくてウズウズはしているんですが一体『何を』書きたいのか、ブログサービスの登録をするまでは自分でもよくわかりませんでした。 ログインして、編集画面を開けて、文章を打ち込んで、アップロードした自分の日記を見て思わず口をあんぐりしてしまったのを今でもよく覚えています。いきなり『キモ文』だったからです。なるほどそれは狼では書けない。
「お、お前はいい歳してこんなの書きたかったのか・・・」と苦笑いせずにはいられませんでした。それはJUGEMで書き始めて、確か4日書いたあたりでそのJUGEMがトラブルで全く使えなくなったので、それではてなダイアリーに移って来たんですが、その4日のうち3日が『キモ文』でした。 どうやら自分は愛ちゃんの一挙手一投足を書くというよりも、それを見て自分がどう感じているか、どういう思いを寄せているか、など「自分の気持ち」を書きたいタイプらしい。そう理解するようになってからは、日記の雰囲気や自分のキャラクターを『気持ち』が書きやすい方向に持って行くようになりました。日記を書いている方にはキャラクターをある程度作っている人と比較的『地』で書いている人がいると思うんですが、僕はかなりキャラ作りが激しい方です。第一、僕はコテコテの大阪南部の人間なので普段の会話はどぎつい泉州弁です。 「気持ちを書きたいタイプ」なので日記を始めた当初は頻繁に『詩』を書いたりしてました。今でも書いていて1番楽しいのは『日常の些細な出来事から高橋愛に対する思いへと繋げる』文章ですし、その延長線上として『紀行文』もすごく楽しく書けます。特に福井の紀行文は長文でバーッて書けますね。逆に『考察』とか『高橋愛を見た感想』とかは未だにほんとに、大変。僕はその手の文章を書く時に『コンサレポ』という言葉は使わないです。レポート(報告)とはとてもじゃないけど申せません。やっぱり、感想=感じて想った事、それしか書けないです。 一昨年の9月あたりからだったかな、そこから去年の9月あたりまでほぼ一年に渡って「高橋愛以外の事は一切書かない」という方針を貫く、という時期がありました。他のメンバーの名前や言及は一切載せず、用事のある日以外はひたすら『高橋愛』『愛ちゃん』という名前だけ書き綴っていく。これ、結構大変でした。「大変だと思うなら書くなよ」と自分でも思うのであまり「大変」という言葉は使いたくない、んですがやっぱり大変でした。だって、ネタはそんなにないですから。
僕は「大変」という言葉と同じ位使いたくないのが「ネタがない」という言葉で、この日記が『情報』について言及するのを旨とするのなら「ネタがない」というのもまあアレなんですが、「気持ちを書く」「日常の些細な云々」って言っておきながら「ネタがない」とはお前それどうゆうこっちゃねん毎日『気持ち』を書けんのんかい、って僕の中の清原番長がニラみをきかして凄むのです。 でも「気持ち」を書く取っ掛かりとしてやっぱり「ネタ」が必要なので、そのネタ探しも含めて半ば意地になって書いていたりしましたね。でもそうやって一年まるまる愛ちゃんの事とか気持ちだけを書いてきた、というのは僕がこうやって日記を書き続けていく上で、ちょっとだけ自信にはなっています。
あと、ステージの『考察』をする上でもこの一年は重要な時期だったと思います。というのは、とにもかくにもネタに困ったので、例えば休日に街を歩いていてもボーっとしてる事がほとんどなくなったんです。例えば街全体の雰囲気、個々の建物の形、建物に対する影の付き方、道の曲がりくねり方、街路樹が風に揺れる様、通り過ぎて行く人や車、そういった身の回りの出来事を『観察』して、それらを『言語』に置き換える、というクセが、付けたい訳でもないのに付くようになっていました。それは別に考察の訓練などではなく「ああネタがないネタがないなんとかしなきゃもうこうなったら足元転がってる石ころからでも愛ちゃんへの思いへと」って必要に迫られて行っていた事なんですが、それが後に、愛ちゃんのステージを見て感じた事を『文字にする』時にかなり役立ったと思います。実際、考察なり感想なりの『青写真』が頭に浮かぶまではもう泣ける程骨が折れますが、一旦浮かんでしまうと、それを書くのが泣ける程大変、というのは今はあまりありません。多分、テンパッて書いていたその一年間がいい練習になっていたんだろうな、と思います。 □  □  □ 特に、オチもなく過去を振り返って来ました。自分への確認のため、ですね。
こうやって、いろいろと紆余曲折を繰り返しながらも書き続けて来れたんだから、これからもきっと、もっと書き続けていける。
それを自分に言い聞かせて納得させるための、更新でした。