高橋愛が歌った、『ふるさと』。
僕が持っている音源は、
モーニング娘。ベストショット vol.3』(2004年)
モーニング娘。CONCERT TOUR 2005 SPRING 第六感ヒット満開!』(2005年)
ハロプロアワー』(多分2006年)
この3つです。
3つの『ふるさと』を同時に聞いてみたくなりました。ただ、昨日の更新で『「お前、今更何を言って・・・・・」的な事しか書かない』とちょっとだけ触れてます。今日の更新は結論が『今更』的な事になってしまうのをご了承下さい。
昨日の更新では『聞き比べた感想』と書いたので自分のしたい事と若干のズレが(自分で書いててアレですが)生じてしまっています。僕が3つのバージョンを聞いてみたくなった理由は、高橋愛の『表現の変化』の軌跡を時系列で追っていくため、ではありません。
『表現の変化』を確認して、それら変化、差異を、言葉は悪いかもしれませんが「削ぎ落として」、その作業を繰り返す事によって、大元の大元、僕が「高橋愛が好きだ、魅力的だ」と考える『根本』を探り、それを言葉面だけではなくこころでもう一度確認する。
つまり原点を見つめ直すための3曲同時聞き比べです。ちなみにこの3曲は歌われている場面がそれぞれ違うので(スタジオ録音、ステージ、セット)、場面設定の変化によって歌い方もまた違ってくるかもしれません。
でも今日の僕の『テーマ』からすると、その差異もまた「削ぎ落とす」範疇に入ります。
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今から聞くと、最も昔の音源である『ベストショット』の『ふるさと』には明確に思考錯誤を重ねた跡が読み取れます。専門用語が分からないので聞いたままをそのまま表現していきますが、短く語尾を止めて区切ったり裏声へと返す。ヴィブラートも使うけど、同時に音程を上げたりまたは逆に下げる小節の終わり方。英語っぽい発音の多用。例えば[l]の発音に[r]を混ぜる。母音の前に[w]を足す。
これらは今でもしてはいるようですが、『ベストショット』の『ふるさと』ではとりわけ顕著に見られます。今から考えるとこの時の高橋愛は『ふるさと』という曲の意味を読み取る事よりも(もちろんその作業は怠らなかったのでしょう)むしろ、この曲を歌う事によって『高橋愛』という個を確立したかったのではないか、と思えてしまう程に個性のある歌い方をしています。
次の『コンサートツアー』の『ふるさと』では、それらの『跡』は激減しています。全体的に落ち着いて、それでいて高橋愛らしさは失われていない、そういう風に僕には聞き取れました。それは先にも書いたようにスタジオ録音とライブの違いも念頭に置いておかないといけないのかもしれません。基本的にこの2つのバージョンは同じ線の上にある印象を受けました。『ベストショット』で書いた特徴は、激減してはいますが残ってもいます。ライブには観客がいるので、自分の表現に耽るだけではなく観客に対して語りかける要素も必要でしょうし、「時系列で変化を追う事が主目的ではない」と最初に書きましたが少しだけ脱線すると、高橋愛の『ふるさと』はライブでステージに、そして観客に揉まれる事によって(もちろん本人の思考錯誤も含めて)だんだんと『高橋愛の個』から『ふるさとを歌う高橋愛の個』を 確立していったのかもしれないな、と思いました。
ハロプロアワー』の高橋愛は、僕の中では白眉です。『ベストショット』で書いたような『個性』はほぼなくなっています。歌の区切りは、ほとんど全てが震えるようなヴィブラート。唯一サビの一ヶ所で「音程を上げる」歌い方が確認できたくらいでした。
英語っぽい発音の多用も、もともと『apple』の『a』の発音(aとeをくっ付けたような発音記号)っぽく「ア」と歌う人ですが(というかこういう人は結構多い)、多用、という言葉とは程遠い素直な歌い方。全体的に抑え気味の、スムースな歌唱法で、聞こえてくるのは高橋愛の艶のある声とヴィブラートだけ、そんな極めてシンプルかつ芳醇な世界を見せてくれました。
この歌い方を、ピアノの伴奏だけ、というやはりシンプルなアレンジに合わせて持ってきたとするならば、もう「お美事」と言う以外にありません。
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僕の今日のテーマは「削ぎ落とす事」だと冒頭で説明しましたが、3つを聞き比べなくても、シンプルな設定である『ハロプロアワー』である程度答えを見つける事はできたのかもしれません。でもやはり同時に聞く、というのは差異を見つけやすかったと思います。そして再確認した事は、
僕が好きなのは、高橋愛の『発声(母音から放たれるその艶や響き)』だ。
・・・・・ね? 「お前、今更何を・・・・・」でしょ?
もう1つ付け加えるならば、『音楽によってその発声は何倍にも豊かになる。だから高橋愛の「歌声」が好きだ』。
これも、「お前〜」の範疇、ですよね。あ、もちろん「可愛い」とかそういうのとは別の所の話です。
でも、こういう確認を来月の15日から行き始める(まだまだ先だな・・・orz)コンサートの前に「こころ」に納得させる形でちゃんとしておきかたったんです。まだこれだけでは終わらないと思います。テーマに添った何かが浮かんだら、また「確認」をするつもりです。
高橋愛はツアー毎、会場毎どころか、昼公演と夜公演で曲に対する表現を変えてくるような人です。その表現の『変化』をしっかり見るためにも今、自分が高橋愛を見るための『コア』を確立して基礎固め的な事をなるべくしておきたいな、と考えているんです。
そしてそういった基礎固めは、今年20になる高橋愛をさらに10年のディケイドで見ていくために、楽しんで過ごすことができるように、自分にとっては必要な事なんじゃいかな、と考えています。