ここ最近書いている『表情』について、「これで、いいかな・・・」という落し所(答え)が見つかった、ような気がするので今日でこのお題はひとまずお終いにしようと思います。我ながら呆れるような、本当に他愛もない答えになってしまいまして申し訳ないような気が。
きっかけは、仕事の帰り道にありました。
僕は自転車通勤です。自転車でフラフラと、とある小さな十字路に差しかかりました。そういう交差点には、たいてい『カーブミラー』が角に設置されています。死角から自動車等が来ていないかどうか確認するためのものです。
いつものように、交差点に突入する前にカーブミラーを確認。もう日が落ちていてほとんど真っ黒のミラーに、こちらに近づいてくるランプが見えたので一旦停止。死角から車が出てきて、カーブを曲がる。それを確認してから交差点を渡りました。
何の気なしにカーブミラーを眺めながら渡っていると、一瞬だけ自分の姿が映し出されて、次の瞬間にはもうミラーを通り過ぎていました。
その次の瞬間に、「あ、これかな?」と思ったんです。
表情は人格(内面)を映し出す鏡

よく使われるこのフレーズ、今日思い出してみて、改めて納得したような気持ちになりました。
何故、高橋愛の表情に惹き込まれるのか。それは、表情を見る事で、彼女の内面を見ているから(少なくとも、見ていると感じられるから)なんじゃないかなって。
そして(僕が)「表現者としての高橋愛」の表情により魅かれる理由。それは、彼女が対象(例えば曲)の解釈を表情なり声なりに組み入れる事によって表情に複雑さが増し、それが「深み」となって、見ているこちらが更に彼女を深く見ることができる(見ていると感じられる)から。
だから、僕は高橋愛の表情に魅かれるし、人は、誰かの表情に魅かれていくんじゃないかな。
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ここまでは、家に帰って来てからいろいろと調べて、その上で簡潔にまとめたものです。
もう1つ自分自身の意見を入れると、僕が「あれ?」と感じたのは『カーブミラー』を見た時です。
カーブミラーは、実際に現れる前に、現れるかどうかを確認する鏡。
ほとんど真っ黒なミラーに映し出された車のランプを見た時に、多分僕はそこに、高橋愛の表情を見たのだと思います。
表情は、人格や内面だけじゃなくて、『未来』も映し出してくれるんじゃないかな。
僕はおそらく、高橋愛の表情に、彼女の、ランプに照らされた未来も見ているんです。
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・・・・これで、いっかな!(笑)。
自分的には結構スッキリしました。でも「ああ〜ん!?」と思った方が大半じゃないでしょうか(笑)。
でも、ほんと、僕的にはちょうどいい落し所、かな。うん。
とりあえず、今はこれでいいんじゃないかな。
あ〜なんか今日は楽しくお酒でも飲みたい気分!
川*’ー’)つ旦  ←ソイラテ
・・・やっぱり健康が1番だよね愛ちゃん orz