僕が高橋愛のダンスに魅かれる理由。原点。
声とか表情とかを考えてきて、これがひとまずラストです。
このダンスだけは、声や表情の時とは違って他の事を考えていて突き当たった理由です。いや、ちょっと言い方が違うかな。声や表情や、その他の事を考えていて思いつきました。そのあたりについてはコンサートが始まったら感想として書くつもりなので、今日は、思いついて調べて「これでいいかな」とした「理由」だけを書きます。
音の視覚化 
によって音と見ている対象にダイナミズムを感じるから。
・・・で、今のところ、自分としてはOKです。
□  □  □
この手の更新では「愛ちゃんが好き」とか「可愛い」とかいう大前提の気持ちはとりあえず脇へ置いて考えて来ました。もうちょっと言うと、知りたかったのは、僕という『鑑賞者』が『表現者』全般を見る時、または感じる時に置いている力点です。
発声の魅力。畏怖する心。表情は人格を映し出す鏡。音の視覚化。
これらは高橋愛を見る時に限らず、芸術全般を見るときに僕が置く力点です。それを知りたかったのです。 そういう力点や原点を知っていれば、その上にある表現の差異を見やすいんじゃないかな、と思ったので、コンサートが始まる前にある程度、各テーマに1つでもいいから確認をしておきたかったんです。
一応ではありますが自分の中で納得はいきました。
明日とあさってで、コンサートの前口上を書く予定です。