あのお、福井に行きたいんですけど(爆)。 
どうしよっかなあ〜。来週あたり行ってしまいそうなんだけど(笑)。お金ないんだけど(笑)。
あらためて説明しておくと、愛ちゃんのファンとしてのありようって、まあ人によっていろいろで、コンサートがブッチ切りで1番大事、という人もいれば、グッズや写真集めるのが好きな人とか、テレビやラジオの愛ちゃんがいい!っていう人とか、それこそファンの数だけあると思うんだけど、僕の場合、多分人とちょっと違う所があって、用もないのに無意味に福井に行ってしまうという癖が(笑)。
いや、愛ちゃんのファンの人達って、他のメンバーのファンの人達より比較的「聖地巡礼」したい人が多いとは思うんです。福井のコンサートの時とか、聖地はファンだらけになりますし。ただ僕の場合、コンサートがあろうがなかろうが定期的に行ってしまうので(笑)。最近では年末年始を福井で過ごしました。ええ。まったくなんもないですよ。コンサート会場どころか、店という店がほとんど閉まってましたし(笑)。
なんでそんなに福井に行きたくなるのかというと、・・・う〜ん、なんでだろ?
まず、僕の愛ちゃんファンとしての「原点」っていうのがありますね。コンサートの会場よりも、ハロショよりも、福井に行ったのが早かったんです。時系列としては、福井→ハロショ→コンサート という順番だったと思います。愛ちゃんに向かって一歩足を踏み出したのが「福井への紀行」なので、どうしても思い入れはできちゃいます。自分の原点を確認したくなっちゃうんですね、たまに。
それから、僕は今ではコンサートで愛ちゃん見るのすごく好きだけど、じゃあ、コンサートと福井行くのどっちが好き?って聞かれると、ちょっと困る。というか、コンサートで愛ちゃんが輝いてるのを見れば見るほど、カウンターとして福井に行きたくなってるような気がする。
この日記を長い間見て下さっている、人がどれくらいいるかはわかりませんが(笑)、これはもうずっと書いてる事で、僕は福井に行くと愛ちゃんの「残像」を、ものすごくよく見ます。そこらじゅうに見ます(笑)。そういう残像ってたいてい、福井で普通に生活している愛ちゃんです。だから、例えばレストランに入って行く女性とか、花屋さんでバイトしている女の子とか見ると、一瞬、強い風が吹き抜けるように愛ちゃんと重ね合わせてしまいます。これはもう、どうしようもなくそうなってしまいます。
で、僕はそういう残像を見る事ができる福井にいると、ものすごく落ち着きます。それに、自分の中の嫌いな部分や弱い部分とかを、歩きながら、立ち止まりながら、または居酒屋でお酒を飲みながら(笑)、溜息と共にフッと外に吐き出せるんですよね。そういう場所ってほんと、僕にはあそこしかありません。
愛ちゃんはステージでとても輝いています。その輝きは増すばかりです。これからもそうあり続けるだろうし、そのためには日本から飛び出してしまうかもしれません。僕は、それは望むところだ、と思っています。これは、本当にそう思っています。思っていると言ったら思っています。
でも自分の中に、そう思っていない自分がいるんだと思います(笑)。なんなんだいったい(笑)。
なんて言うかな、愛ちゃんが光輝けば輝くほど、そういう愛ちゃんじゃない愛ちゃん、というと語弊があるかな。「輝く」とか、そういう部分で見なくていい愛ちゃん、というかな。普通の愛ちゃん、でもなんか言い方違うし。わかってもらえますかねそのあたりのニュアンス(笑)。
「ふとした」愛ちゃん、っていうかな、そういう愛ちゃんを、ステージのカウンターとして見たくなるんじゃないかな、見ると落ち着くんじゃないかな、と思います。ステージの愛ちゃんを見る時はやっぱりパワーがいるから、「ふとした」愛ちゃんを見てる時はパワーもカウンターになって、フニャ〜っとした気持ちを吐き出せるんじゃないかな。
・・・とかなんとか言って、要するに福井に行く口実を作ってるだけなのかも(笑)。秋には「ふるさと」をピアノで弾くために行くつもりなのに(笑)。ああ、じゃあ「ふるさと」弾く場所探しも兼ねて。なんか、こっちのほうが行く理由がわかりやすかったかも(笑)。