今年、春のモーニング娘。コンサートで、高橋愛は『大阪 恋の歌』をソロで歌いました。
その時僕は、あまり『大阪〜』の愛ちゃんについて感想めいたことを書きませんでした。夏の、つまり先週まで行われていたミュージカルで、どうなるかを確認してから書きたい。そして、必ず書けるはずだ。そう思っていました。
あの時の愛ちゃんのステージングに関して、個人的に、ちょっと、もうちょっと、あれば、もっと、なんというか、舞台が、映えるんじゃないかな、って、素人考えで感じていた部分があったんです。
それは、「かおり」や「におい」です。
「香り」でも「薫り」でも「匂い」でも、『大阪〜』くらいコテコテのラブソングなら「臭い」でもいいくらいかもしれません。とにかく、舞台上から立ち込めるような芳香がもっとあれば、高橋愛のステージングはより一層際だつのではないか、と感じていました。
具体的な例を上げると、曲終わり前のサビ「好きなんよ〜♪」から「大阪恋の歌〜♪」の部分まで、愛ちゃんはステージを右へ行ったり、左へ行ったり、手は時々スッと持ち上げるくらいで、激しくダンスはせずに歌っていました。
その時に、愛ちゃんはそのまま歌っている、という印象を持ち続けていました。動きに「タメ」や、「キメ」があまりないので、そのまま右へ行ったり左へ行ったりスッと手を持ち上げたり、こちらの視線を動きが止める、という事があまりなかったように、どうしても感じていました。
『大阪〜』のステージが舞台としてのパフォーマンスを志向しているのは、それはそうだったんだろうと思います。じゃなければスタンドで振り付け無しで歌えばいい訳ですから。
舞台としてのパフォーマンスならば、やはりその場から薫香とも言うべきものを発散させたほうが・・・、という気持ちが確かにありました。その薫香にこちらがハッと目を止めてしまうくらい、「タメ」や「キメ」、要するに動きに抑揚を付けた、そういう高橋愛を、って。
彼女が常日頃から「舞台」という場所に対する計り知れない愛情を口にしているので、尚更そう感じてしまっていたのかもしれません。
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ミュージカルから、2ヶ所、例に上げます。
1ヶ所目。第四場『嵐』。
ヘケートに背後からナイフを突き立てられ、魂を奪われて倒れる。嵐が止み、サファイアの意識が戻り、最早自分が女ならぬ身であることを悟ってまるで気が触れたように笑った後のセリフの部分。
「バカげた人生か。実にバカげた人生だ!
男か。女か。たいした違いはない。どちらも生まれて育って、死ぬときは死ぬのだ。」
この部分の台詞、高橋愛はほとんど体を動かさずに言っていました。上にあげた『大阪〜』の例よりも、更に動きは少ないです。
でも僕は、この時高橋愛が発する『狂』の「におい」が充満している舞台が嬉しくて仕方ありませんでした。
体をそれほど動かさずとも、メリハリや台詞に抑揚を付ける事によって、舞台はこれほどまでに有機的な場所になるのだ、と。
そして、それを現出させているのが、高橋愛なんだ、というのがとても嬉しかった。
もう1ヶ所。そのすぐ後ろあたりです。というか、愛ちゃんが笑いを取る所、と言ったほうがわかりやすいかもしれません。
男の魂しか心の中になくなったサファイアが、無理から女の子のマネをしてお妃候補になろう、という場面。
これが、普通に面白かったんです。「愛ちゃんがそういう事をしてる」というファンの目からではなく、「男のサファイアが女の子の真似してるぞオイ」という、笑うべき理由の所でちゃんと面白かった。 それはおそらく自分だけではなかったと思います。僕が入った4公演全部で、その箇所で大きな笑いが起きていました。おそらくそれ以前にも、その箇所ではしっかりと笑いが起こっていたのではないでしょうか。
今回のミュージカルはリピーターの方も多数いらしたと思います。また、通常の娘。コンサートに比べて、特段モーニング娘。のファン、という訳ではない、ミュージカルに興味があるので見に来た、といった印象の方が多く見受けられたように感じました。
そういった中で愛ちゃんがちゃんと笑いを巻き起こしているのは、故・二代目桂枝雀言うところの「緊張の緩和」がしっかりと出来ているからなのだと思います。
この場合、その前の気の触れたような愛ちゃんが「緊張」、男が女の子してる時の愛ちゃんが「緩和」。
その落差がきっちり出ているからこそ、毎回あんなに大きな笑いが出ていたのでないか、と思います。
つまり、動きにしっかりと抑揚を付けることができているんだ、と。
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始めて土曜の昼にミュージカルを見た時に僕がグスングスン泣いていたのは、『大阪〜』の時に「きっと見れる」と思っていたものが、見れたからです。ミュージカルを見ていた場所はA席30列。顔の表情自体はほとんど見えません。しかしそれでも高橋愛がステージから放つ薫風は、僕の涙腺を刺激するに十分な熱と力を帯びていました。
高橋愛が、舞台が好きで、舞台に立ち続けたいとするならば、香り立つような舞台の雰囲気作りは必ず必要になってくるだろうと思うんです。そういう「かおり」「におい」を20歳になろうとするこの時期に、愛ちゃんが、見せてくれた。
本当に嬉しくて、それが泣いていた理由の1つでした。